December 2, 2013, 3:16 pm
[永田和宏選]
(松江市・田中勝美)
〇 幼子が平気で近寄る蝮のよう特定秘密保護法案は
(静岡市・篠原三郎)
〇 米紙さえilliberalと批判する秘密保護法案再読す
(横須賀市・丹羽利一)
〇 哲学に四季はなけれど哲学の道に指揮り四年学べる
(福島市・美原凍子)
〇 さざんかがしぐれを呼べばしぐれまたさざんかにふるひとに会いたし
(東京都・上田結香)
〇 偽装したレストランでも思い出はあの日のみんなの笑顔は本物
(富山市・松田梨子)
〇 志望校何度聞かれても変わらない生まれて初めて頑固な私
(交野市・嶋澤喜八郎)
〇 網棚に妻を忘れてきたやうな岸のむかうも雨降りゐるか
(ホームレス・宇堂健吉)
〇 言ひ値にて雑誌を売りて得たる金三日の命を養ふに足る
(西条市・眞鍋ゆかり)
〇 落選の代議士の顔といつも会う信号待つ間の左のフェンス
(日向市・黒木直行)
〇 前科者ばかり演じてきましたと言いて健さん勲章を受く
[馬場あき子選]
(富山市・松田梨子)
〇 志望校何度聞かれても変わらない生まれて初めて頑固な私
(前橋市・荻原葉月)
〇 紅葉の山また山を駆け下りる嬬恋キャベツ積みしトラック
(吹田市・谷村修三)
〇 つぎつぎにわが足元に降り積もるドングリというとおき日の音
(川越市・小野長辰)
〇 くちなはにひなを吞まれてないてゐる鳩と一緒に泣く雨あがり
(東京都・尾張英治)
〇 出棺の亡き父送る木遣歌職人の声切々と響く
(石川県・瀧上裕幸)
〇 ガラス窓に何度も体ぶつけてはまだまだ元気な霜月の蜂
(蓮田市・斎藤哲哉)
〇 九年飼いしペットの兎の臨終に学校休みていちにち添いき
(札幌市・藤林正則)
〇 オホーツク海望む牧場の牛二百去りて茫茫木枯らしの吹く
(福島市・澤正宏)
〇 寒暖差きびしい畑の小春日にそっと弾ける大豆の鞘あり
(大阪市・岡田梨湖)
〇 秋晴れが季節を感じ肌寒くピストルが鳴りかやくの匂い
[佐佐木幸綱選]
(大和郡山市・四方護)
〇 振袖の島倉千代子が歌うとき白黒映画に紫の射す
(神戸市・安川修司)
〇 ひばり派に分が悪いけど美空より歌姫だった島倉千代子
(八尾市・石井國弘)
〇 バイトして熊になりきるぬいぐるみプーさん終えれば我も子の親
(福島市・武藤恒雄)
〇 リア充もソロ充も越えプア充を生きねばならぬ耐えねばならぬ
(岐阜市・沖山弘次)
〇 明治より積もり積もりし柿畑のふわふわ土を踏んで実を捥ぐ
(網走市・寺澤和彦)
〇 的に向く矢先をひとつ雪虫が横切りてゆく秋の道場
(霧島市・久野茂樹)
〇 ジャージー牛ガンジー牛にホルスタイン高千穂牧場秋雲の下
(東京都・井ノ川澄夫)
〇 八海に朝日が昇る地に育ち富士に夕日の沈む地に老ゆ
(富山市・松田梨子)
〇 志望校何度聞かれても変わらない生まれて初めて頑固な私
(静岡県・湊治美)
〇 おとなりのピラカンサ赤くわが庭の大文字草が白き秋の日
[高野公彦選]
(福山市・武暁)
〇 吉備路なる五重塔の境内に秋は込み合う甘酒屋あり
(札幌市・清水薫)
〇 たっぷりと温もり残して待っていた 間に合わなかったあなたの体
(横浜市・江良彦之)
〇 独り居のかなしき背中靴べらに軟膏つけて掻きこするなり
(島田市・水辺あお)
〇 魅力ある出口がなくて若者らバーチャル画面の中より出でず
(東京都・上田結香)
〇 偽装したレストランでも思い出はあの日のみんなの笑顔は本物
(東京都・狩集祥子)
〇 「消費税が上がるんだって」冬の宵皮をむきつつ文旦に言う
(大館市・小林鐐悦)
〇 リハビリで友が削りし夫婦箸朝餉夕餉にこの手になじむ
(浦安市・菊竹佳代子)
〇 からすうり柿の実ガマズミ秋の実はしいんと寂し色朱けれど
(八戸市・山村陽一)
〇 吾が街は南部の里と呼ばれつつ朝の味噌汁に菊の花撒く
(東京都・大村森美)
〇 続きたる嵐に遇ひて島に来たアサギマダラの翅はぼろぼろ
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December 3, 2013, 9:56 pm
[稲畑汀子選]
(川西市・上村敏夫)
〇 いつの間に築二十年隙間張る
「築二十年」と言えば隙間風も入って来るだろうし、雨漏りだってするかも知れません。
しかしながら、三十五年償還の住宅ローンを組んでその家を建て、現実にその家にお住いになって居られる方々の気持ちからすれば、「つい、この間建てたばかりなのに、いつの間にやら、二十年も経ってしまったのか?その割には住宅ローンの元本は減ってはいない?」といった気持ちなのでありましょう。
〔返〕 上物は評価ゼロ以下 路線価の九百万円で投げ売りし桝
(芦屋市・酒井湧水)
〇 木枯やひたと揺るがぬ白鳥座
「ひたと揺るがぬ白鳥座」とあるが、「ひたと揺るがぬ」のは「白鳥座」の三角形では無くて、「木枯」の吹き荒ぶ中で「白鳥座」に据えられた、掲句の作者・酒井湧水さんの炯々たる視線でありましょう。
〔返〕 木枯しに吹かれて揺れるオリオン座ベテルギウスも風邪を引きそう
(姫路市・中西あい)
〇 母逝きしことしみじみと冬に入る
「母逝きしこと」を「しみじみ」と語るのであり、「母」を逝かせてしまった後の「しみじみと」した気持ちで以って、寂しい「冬」を迎えるのでもありましょう。
〔返〕 母逝きて父と二人の冬迎ふ山茱萸の実の朱ぞ目に滲む
(志木市・柴田香織)
〇 地に還る落葉にもある吐息かな
「色即是空、盛者必衰」、「地に還る」者は「落葉」のみに非ざればこその「吐息」でありましょう。
〔返〕 森林に座して耳を澄まし居れば落葉の吐息溜息聞こゆ
(熊本県菊陽町・井芹眞一郎)
〇 大寺は御僧一人冬に入る
「御僧」と呼び掛けるからには、葬式や法事の際のお布施だけを心待ちにしている只の生臭坊主、即ち「算盤勘定に長けた坊主」とは異なりましょうか?
〔返〕 大寺の壁一面に貼られたる年忌法要布施相場表
(東京都・瀧澤幸)
〇 全山の紅極め冬めきし
「全山の紅」は、冬籠り直前の樹木の哀しい雄叫びでありましょうか?
〔返〕 橅・橡・小楢・水楢、雄叫びを上げて散り逝く奥飛騨の秋
(北海道鹿追町・高橋とも子)
〇 雪晴の空に深さの生れにけり
猛吹雪一過の「雪晴の空」の青さには、雪国暮らしをした者でなければ解らない「深さ」が感じられるのである。
〔返〕 雪晴れの空の深さを沈み行く熊鷹一羽十勝鹿追
(兵庫県太子町・一寸木詩郷)
〇 黄葉して萩に日差のゆきわたり
「萩」が「黄葉」すると、見た目、「日差」が根本まで行き渡っているような感じになるのでありましょう。
〔返〕 落葉して萩の根本に陽の射しぬオオカマキリの卵鞘見ゆ
(枚方市・上野鮎太)
〇 追つてくる鯖街道の時雨かな
「鯖街道」とは、「若狭国などの小浜藩領内と京都とを結ぶ街道の総称」であり、「狭義では若狭街道(現在の福井県小浜市〜京都市左京区・出町柳)」を指して言うのである。
「鉄道や自動車が普及する以前の時代に、若狭湾で取れた鯖を徒歩で京都に運んだ道であったことから、近年に至って、このように名付けられた」とのこと。
「追つてくる鯖街道の時雨かな」というこの一句をお詠みになられるに当たって、作者の上野鮎太さんの胸中にあった光景は、「越前福井藩を脱藩した若き志士が、時ならぬ時雨に追われながらも、風雲急なる京の都を目指して道を急ぐ姿」でありましょうか?
もしも、その通りであるならば、その「越前福井藩を脱藩した若き志士」は、「安政の大獄の折に江戸の小塚原刑場で斬首の刑に処せられた橋本左内(享年26歳)」と特定されましょうか?
〔返〕 雨合羽からげて急ぐ鯖街道京の都は風雲急なる
(熊本市・西愛美子)
〇 冬田打つ菊池平野の端借りて
「冬田打つ」と言うからには、掲句の作者・西愛美子さんは、「菊池平野の端」の田圃を「借りて」、米の裏作として麦か菜種の栽培をなさって居られるのでありましょう。
〔返〕 冬田打つ俄か百姓夫婦連れ菊池平野の小春日和に
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December 4, 2013, 12:10 am
[長谷川櫂選]
(東京都・野上卓)
〇 大根の炊くほど水に近づけり
(岐阜市・阿部恭久)
〇 降る雪や日本と言ふ闇深き
(下田市・森本幸平)
〇 単身赴任外套取りに帰りけり
(玉野市・勝村博)
〇 一切を削ぎ落としたる寒林へ
(秋田市・中村榮一)
〇 花としての色を忘れし八手かな
(武蔵野市・水野李村)
〇 熱燗は好まずと云いなほ一盞
(津市・中山いつき)
〇 初氷待つ大根の白さかな
(志摩市・田島もり)
〇 白を着て仏師集団冬に入る
(横浜市・山本幸子)
〇 非常燈一つを帰る冬の廊
(相馬市・根岸浩一)
〇 震災時配給されしマスクあり
[大串章選]
(川越市・渡邊隆)
〇 隙間風なき世の息の苦しさよ
(霧島市・久野茂樹)
〇 ラグビーの監督背広着こなせり
(オランダ・モーレンカンプふゆこ)
〇 身に沁むや三ケ国語を忘れゆく
(青森市・小山内豊彦)
〇 折鶴の折目正しく冬に入る
(横浜市・正谷民夫)
〇 童心の父月光を纏ひをり
(柏市・藤嶋務)
〇 遠火事や眠れぬ夜の羊たち
(金沢市・今村征一)
〇 干柿のやうな齢となりにけり
(多摩市・田中久幸)
〇 懐妊の孫に祝はれ生身魂
(東村山市・高橋喜和)
〇 冬ともし短き遺書の展示さる
(東京都・望月喜久代)
〇 無花果の落ちたるを踏み滑りけり
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December 4, 2013, 4:39 am
[金子兜太選]
(野洲市・鈴木幸江)
〇 秋耕の君のぬくみをひとり占め
寸評に「鈴木氏。熱い句だが、『秋耕』で総てが野に包まれ、やわらぐ」とあり。
選者の金子兜太氏は、お歳に似合わず、ある種のご趣味をお持ちなのでありましょうか?
だとしたら、「あの俳壇切っての硬骨漢にして斯かる性癖有り」とは、「おどろ木桃の木山椒の木」といったところであり、金子兜太ファンが倍増することでありましょう。
〔返〕 秋耕の合い間合い間に抱く君の匂い満ちたり琵琶湖の岸に
返歌中の「君」とは、生後六ヶ月の赤ちゃんである。
(熊谷市・時田幻椏)
〇 眠れる日眠れぬ日ありラフランス
山形県の名産の西洋梨に「ラフランス」と瀟洒な名前を奉ったのは如何なる才媛でありましょうか?
あの「ラフランス」こそは、まさしく、その鶯の羽根にも紛う色彩と、得も言われぬ香りで以って、生身の男性の心を幻惑させるに相応しい果物と申せましょう。
拠って、掲句の作者・時田幻椏さんが、「眠れる日眠れぬ日ありラフランス」とお詠みになったのは、彼ご自身がが生身の男性であったならば、「ゆえ在り」とせざるべからず。
ところで、選者・金子兜太氏の寸評に「時田氏。『ラフランス』、この果実との二物配合で、深刻味が遠のき、若々しくなる」とあり。
寸評に言う「深刻味」とは、掲句中の「眠れる日眠れぬ日あり」を指して言うのでありましょう。
掲句の作者・時田幻椏さんのご本業は建築関係数社の経営者とか?
来年四月一日から消費税率が五%から八%に改定されるのであるが、その事を考えると、経営者としての時田幻椏さんにも、「眠れる日」も在れば「眠れぬ日」も在るのかも知れません。
もしも、「眠れぬ日」が在ったとしても、山形県産の果物をもりもり食べて、元気溌剌として、素晴らしい建物を沢山お建てになって下さい。
尚、私の長男が「住まいと暮らしの総合住生活企業・LIXIL」の特殊事業部・営業社員として働いて居りますから、彼が御社ご訪問の砌りは、何卒、宜しくご贔屓賜りたくお願い申し上げます。
〔返〕 眠れる日眠れぬ日あり社長さんラフランス食べて元気快復
(横浜市・本多豊明)
〇 ねんごろに霧立つところ陰の神
出し抜けに「ねんごろに」と来れば、「あの女子アナと懇ろになりたい!」とか「あの年増女優とも懇ろな仲になりたい!」とかと思ってしまうのは、決して崇高ならざる、私の人格の然らしむるところでありましょうか?
それはともかくとして、掲句の下五に置かれた「陰の神」とは、俗に謂う「賽の神」即ち「男根崇拝のシンボル」でありましょうか?
だとしたら、先に述べた、私の憶測も決して拙速とは言えません。
〔返〕 懇ろに擦りて居らば魔羅も起つ回春剤など断じて購ふな
(秩父市・浅賀信太郎)
〇 冬の霧巻くかはたれに詩と出会ふ
「かはたれ」とは「彼は誰」時、元々は「彼が誰か訊かなければ判らないような時刻」即ち、「薄暗い朝方や夕方」を指して言う言葉であったのであるが、後には「朝方に限定して使うようになり、夕方を指す黄昏と区別して使うようになった」のである。
しかしながら、揭句中の「かはたれ」は、夕暮れ時を指して言うものと解した方が宜しいと思われるのである。
何故ならば、私たち日本人をして「詩心」を抱かしむる時刻は、朝方よりも夕方の方が、より相応しい時刻と思われるからである。
それとは別次元の問題として申せば、揭句は発想的にも表現的にも、凡作中の凡作と言わなければなりません。
〔返〕 黄昏は詩心を抱かしむるとき黄昏時に歌詠む莫れ
(野洲市・馬渕兼一)
〇 醜態を我ら隠せし海鼠美し
あのケッタイな姿の棘皮動物「海鼠」を食用に供しようとしたのは、何処の何方でありましょうか?
その「海鼠」をして「海鼠美し」とお詠みになるとは、一体全体、揭句の作者・馬渕兼一さんの美意識は、如何なることになって居られるのでありましょうか?
そう言えば、私たち男性が例外無しに所有している逸物は、見方に拠っては「海鼠」のようにも思われましょう。
作者の馬渕兼一さんは、「それと感じて居て、それと言わない輩の所業」を指して、「醜態を我ら隠せし」と言って居られるのでありましょうか?
だとしたら、私・鳥羽省三は、「醜態」を「隠せし」輩のお仲間にはさせてもらえないのかも知れません。
〔返〕 醜態を隠せぬ都知事更迭の噂ちらほら永田町界隈
(塩釜市・杉本秀明)
〇 夜寒さの一語半語や港の灯
「本日・十二月四日で以って、東日本大震災の発生後、一千日の時間を閲した」」との報道である。
復興未だしのこの冬の「夜寒さ」は如何ならむ?
そして今、特定秘密保護法に抵触する事柄の「一語半語」でも口にしようものなら、直ちに虜囚の人と為されてしまうが如き時代が至らんとしているのである。
〔返〕 騒がしきこの世を捨てて逃げなむも逃ぐる国無し哀しき我ら
(新庄市・三浦大三)
〇 月山の優しいうちに冬支度
「月山の優しいうちに冬支度」とは、「月山」に近い新庄市にお住いになられ、冬期間の「月山」の厳しさに就いて、知悉なさったの方ならではの作品である。
ところで、私が愛読させていただいている、ブログ『天童の家』の管理者(執筆者)・今野幸生さんは、月山に臨む天童市にお住いになられ、ブログ『天童の家』には、ご自身が撮影された月山の四季の風景やそれに関する記事などが満載されているのである。
つきましては、本ブログをご愛読なさって居られる方々も亦、私と同様に、今野幸生さんの御ブログ『天童の家』をご訪問下さるようにお願い申し上げます。
重ねて言うが、それにしても「月山の優しいうちに冬支度」とは、真に滋味深き一句である。
掲句で言う「冬支度」とは、「家屋や屋敷周りの冬囲い、冬期間に食する漬物の漬け込み、柿捥ぎ、柿の皮剥き、干し柿造り、屋敷内に在る小さな池に飼っている鯉魚が鴉や狐などに盗られないようにする為の算段、樹木の雪吊り及び雪囲い、大根や蕪や人参や白菜や葱などの野菜類の凍結を防ぐための雪穴での保存措置、その他、一切合財の冬を迎える為の準備」を指して言うのであるが、今野幸生さんのブログ『天童の家』には、そうした「冬支度」の有り様が、腕に覚えのあるカメラで以って鮮明に写されておりますから、一度、お訪ねになるのも決して損ではありません(笑)。
今野さんお得意の「逆光写真」も亦佳し!
〔返〕 出羽国をふた分けざまに聳え給ふ鳥海山の裏の故郷
どちらが裏でどちらが表なのか知りませんが、この際は、三浦大三さんや今野幸生さんに敬意を表して、私の故郷・秋田県湯沢市や横手市側から望む鳥海山を「裏鳥海」とさせていただきました。
(大東市・佐々木郁子)
〇 林間の秋のひと照り幻住庵
掲句の鑑賞に資するため、下記の通り、フリー百科事典『ウイキペディア』に記載されている「幻住庵」に関する記事を無断転載させていただきますので、『ウイキペディア』の関係者の皆様は、何卒、宜しくご許容下さい。
幻住庵は、滋賀県大津市にある松尾芭蕉の関連史跡。
『奥の細道』の旅を終えた翌年の元禄3年(1690年)3月頃から、膳所の義仲寺・無名庵に滞在していた芭蕉が、門人の菅沼曲水の奨めで同年4月6日から7月23日の約4ヶ月間隠棲した小庵。ここで『奥の細道』に次いで著名で、「石山の奥、岩間のうしろに山あり、国分山といふ」の書き出しで知られる『幻住庵記』を著した。
元は曲水の伯父・幻住老人(菅沼定知)の別荘で、没後放置されていたのを手直しして提供したものであり、近津尾神社境内にある。芭蕉は当時の印象を「いとど神さび」と表現したが、その趣は21世紀の今も変わらず残っている。現在の建物は1991年9月に芭蕉没後300年記念事業「ふるさと吟遊芭蕉の里」の一環で復元したものであり、敷地内には幻住庵記に「たまたま心なる時は谷の清水を汲みてみづから炊ぐ」との記述があるように、芭蕉が自炊していた痕跡 “とくとくの清水”が今も木立の中水を湧き出している。
〔返〕 先づ頼む清水汲みつつ握り飯椎の葉の散る幻住庵かも
(東京都・芳村翡翠)
〇 弁当を使ふ孤独に秋惜しむ
何故か?「弁当を使ふ」と言って、「弁当を食べる」とは言わないのである。
学校や職場などで昼食を摂る際は、机を寄せ集めたり、長いテーブルの在る所に集まったりして、大勢の仲間がワイワイガヤガヤしゃべり合ったり、おかずの交換をし合ったりして食べることが多いのであるが、そうした騒々しい「弁当使い」は、「弁当を使ふ」と言うよりも「弁当を食べる」と言うに相応しい「弁当使ひ」でありましょう。
私は学童の頃からそうした「弁当使ひ」が大嫌いであったので、これ迄ほとんど自分一人だけで「弁当使ひ」をして来たのである。
私のそうした体験からすると、「弁当を使ふ」という行為には、本質的に「孤独感」が伴われているように思われるのである。
掲句の作者・芳村翡翠さんは、秋も深まった頃に、井の頭公園の片隅のベンチで、孤独を託ちながら「弁当使ひ」をなさって居られるのでありましょうか?
〔返〕 池水に伊呂波紅葉の散る秋を独り尋め来て弁当使ふ
(京都市・山口秋野)
〇 冬に入る煮つけと煮物は違うとか
「東京ガス」のホームページ、「食の生活Q&A」に、次のような記事が載っているので、そのまま転載させていただきます。
日本料理では、調理法のわずかな違いで名前が変わるものがいろいろあります。素材の持ち味をいかす工夫が大切にされ、用途に見合った仕上がりが求められてきたからでしょう。煮る調理法も、次のように少しずつ違いがあります。
<煮物> 出し汁あるいは水で材料を煮て調味した料理の総称。
<煮しめ> 日持ちをよくするために、汁気がなくなるまでじっくり煮込んだもの。根菜類、こんにゃく、ちくわ等。
<含め煮> 含ませ煮、煮含めともいいます。煮汁の味やうま味をたっぷりと材料に含ませて、材料の持ち味や色を生かした調理法。高野豆腐、ゆり根、干ししいたけ等。
<煮付け> 最初から煮汁が少なめで、煮ながら味をつける調理法。甘辛両味で、煮汁を少し残してこってり煮上げます。魚の煮物にも使う方法で、日常のお惣菜向き。(以上・転載)
〔返〕 「煮物」とは「煮て調味した料理の総称」であり「煮つけ」も含まれる
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December 5, 2013, 5:11 am
[大串章選]
(川越市・渡邊隆)
〇 隙間風なき世の息の苦しさよ
そんな悠長なことを言って居られるのも今のうちですよ!
いずれ、私たち庶民の暮らしはお金に苦しめられ、「特定秘密法」とやらで雁字搦めに縛られてしまい、それこそ本物の隙間風の寒さに苦しめられるようになってしまいましょう。
せめて、夫婦間にだけ「隙間風」など吹かせないように、よくよく注意して暮らしましょう。
〔返〕 この冬は寒さ厳しく川越の鐘の音さへ凍みて聞こゆる
(霧島市・久野茂樹)
〇 ラグビーの監督背広着こなせり
英国紳士を気取っているのでありましょうか?
「ラグビーの監督」は、この競技が我が国に渡来した当初から「背広」を「着こな」して、碌々サインも出さずに、毅然とした態度でスタンドの椅子に座っているだけなのである。
ラグビーの試合は、一旦試合が始まってしまえば、試合に出ているゲームキャプテンがあらゆる指示を出すことになり、監督の果たすべき役割は、ポジショニングとか選手交代のみに限られるのであり、それもハーフタイムの時以外には殆ど出すことが無いので、ああした英国紳士然とした態度で澄まして居られるのでありましょう。
〔返〕 トライをば決めたからとて喜ばずサッカーと違うラガーのマナー
(オランダ・モーレンカンプふゆこ)
〇 身に沁むや三ケ国語を忘れゆく
上五の「身に沁むや」とは、「外国暮らしの辛さがしみじみと身に沁みる」ということでありましょうか?
だとしたら、お気持ちはよく解ります。
英語と日本語とオランダ語とが心の中でごちゃ混ぜになってしまっていて、何が何だか判らなくなっているのでありましょう。
〔返〕 朝ドラの秋田弁さへ身に沁みき「雲のじゅうたん」へばちゃん恋し
(青森市・小山内豊彦)
〇 折鶴の折目正しく冬に入る
「母逝きしことしみじみと」「冬に入る」のであり、「大寺は御僧一人」「冬に入る」のであり、「白を着て仏師集団」「冬に入る」のであり、「折鶴の折目正しく」「冬に入る」のである。
こうしてみると、「冬に入る」という季語は、効き目万能の貼り薬「サロンパスA」みたいなものである。
湖面なる箱根権現冬に入る 谷ナミ子
メモ帳に七つの不思議冬に入る 小林晋子
陸あげのボートや櫂や冬に入る 佐々木幸
植木屋の高き掛け声冬に入る 卓田謙一
天国に近づく都心冬に入る 稲畑廣太郎
円空の仏百体冬に入る 堀木基之
ため息をつくひまもなく冬に入る 倉持梨恵
裾野より暮るる火の島冬に入る 板坂良子
草木のためらはずして冬に入る 小坂アイ子
冬に入る欠きたる義理にこだはりて 大橋麻沙子
手びねりの茶碗重たし冬に入る 大石よし子
幼ナ子の髪つややかに冬に入る 柳生千枝子
岩礁の波弓なりに冬に入る 小林優子
礁打つ波しらじらと冬に入る 中島静子
冷酒も熱燗もよし冬に入る 小松渓水
玄関にヘアピン一つ冬に入る 八木柊一郎
一葉余す「軒端の梅」や冬に入る 橋添やよひ
我と猫背水の陣冬に入る 安部里子
仏みな赤き前掛け冬に入る 沼口蓬風
スカーフの数また増えて冬に入る 嶋田摩耶子
萱屋根の羊歯青々と冬に入る 大山妙子
八ヶ岳の大いなる影冬に入る 密門令子
ハーブ茶の香りも色も冬に入る 浜崎芙美子
俳諧の忌日も済みて冬に入る 吉田小幸
籠居に旅を恋ふ日々冬に入る 桑田青虎
田の神に抱かれし田や冬に入る 石堂絹子
魚網にて覆ふ塩小屋冬に入る 辻恵美子
飾らるる日蓑雨蓑冬に入る 青山悠
ふと背中無防備なりし冬に入る 稲畑汀子
仕事なほ増ゆるばかりや冬に入る 稲畑汀子
大庫裏の艶の框も冬に入る 村上光子
一棟の雀とともに冬に入る 村越化石
オリオン座くつきりと見え冬に入る 荻原麗子
畳目に木洩日ゆれて冬に入る 田中藤穂
大だるまの目の白々と冬に入る 篠田純子
空を衝く榧の大樹と冬に入る 渡辺立男
山頭火のこれぞ鉄鉢冬に入る 手島靖一
歯ブラシを二本並べて冬に入る 倉持梨恵
赤松の枝が水の上冬に入る 大山文子
縁下のいたちのしつぽ冬に入る 城孝子
伊吹より風音尖り冬に入る 味村志津子
生ハムに塩味きいて冬に入る 森茱明
黒々と杉の直幹冬に入る 宮尾直美
木漏日の滝は気高く冬に入る 工藤美和子
海へ向く坂しろじろと冬に入る 小泉万里
禅院の黙ふかぶかと冬に入る 花田百合子
幼な子の髪つややかに冬に入る 柳生千枝子
冬に入る母の南天のど飴も 土屋酔月
SLは哲学の貌冬に入る 筏愛子
真中より揺るる運河や冬に入る 百瀬七生子
鉛筆のなかは賑やか冬に入る 渋川京子
ウインドに柴犬生きて冬に入る 瀧春一
軒下の臼の亀裂や冬に入る 田中久仁子
到来の越後の地酒冬に入る 八木岡博江
櫛ひとつ用済みにして冬に入る 辻美奈子
倒れ木の香を放ち冬に入る 渡邉友七
日時計の指針一本冬に入る 山中宏子
新しき水子地蔵と冬に入る 羽賀恭子
連山のこよなき姿冬に入る 花島陽子
味醂乾し噛みしめてをり冬に入る 昔農治子
波といふ波三角に冬に入る 久津見風牛
からびゆくものに海馬も冬に入る 瀬戸悠
霊屋の厨子の蒔絵も冬に入る 宮川みね子
バスタブも私も器冬に入る 掛井広通
ビルの間に星明らかや冬に入る 廣瀬義一
鎌倉の遠くの鐘も冬に入る 藤井昌治
曳船の綱の直線冬に入る 松岡隆子
菩提寺の燈の日溜り冬に入る 中山三渓
冬に入る己の老を加へつつ 伊藤静香
丸木橋朽ちてそのまま冬に入る 鎌倉喜久恵
佃島橋を渡って冬に入る 定梶じょう
紅茶には塩ひとつまみ冬に入る 鈴木多枝子
街道の軒低き家冬に入る 田中藤穂
高階の夜景しづかに冬に入る 今井松子
喪の日々をどうにか躱し冬に入る 平居澪子
受難の島葦青々と冬に入る 後藤晴子
百年の格子を磨き冬に入る 田下宮子
微笑仏の木目の深さ冬に入る 和田政子
捨窯にひかる陶片冬に入る 渡辺昭
〔返〕 冬に入る冬に入るとて姦しき久女多佳子に汀女しづの女
(横浜市・正谷民夫)
〇 童心の父月光を纏ひをり
今の今まで知らなかった「父」の一側面を、思いがけず見てしまった感激を詠んでいるのでありましょう。
〔返〕 月光に背に負ひて佇つ汝が父はむすめ愛しさ剥き出しなりき
(柏市・藤嶋務)
〇 遠火事や眠れぬ夜の羊たち
幼き日に「遠火事」に脅えながら寝床に入っていた、という経験は、誰しも一度や二度、味わっていることでありましょう。
掲句の作者・藤嶋務さんは、幼き日に「遠火事」のサイレンに脅えながらも、「羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹、羊が四匹、羊が五匹、羊が六匹、羊が七匹、羊が八匹、羊が九匹、羊が十匹、羊が十一匹、羊が十二匹、羊が十三匹、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」と数えながら、必死に眠ろうとしていたのでありましょうか?
〔返〕 何匹の羊数えて眠らせむ火事に脅えて児ら眠り得ず
(金沢市・今村征一)
〇 干柿のやうな齢となりにけり
「干柿のやうな齢」と言っても、その外側だけに拘ってはいけません。
「干柿」特有の滋味、甘み、こくの濃さを考慮すれば、掲句中の動作主体は、甘さも渋さも備えた人物であり、滋味深き「齢」を迎えたことになりましょう。
〔返〕 干し柿の甘さ渋さを噛み締めて共に白髪の米寿祝ひぬ
(多摩市・田中久幸)
〇 懐妊の孫に祝はれ生身魂
「生身魂」とはご謙遜もいいところである。
「懐妊の孫に祝はれ」るどころか、懐妊の曾孫にも祝われるつもりなのかも知れません。
〔返〕 多摩に生れ多摩に老いぬる生身魂珠のやうなる曾孫抱きぬ
(東村山市・高橋喜和)
〇 冬ともし短き遺書の展示さる
妻に宛てた太宰治の遺書
「美知様 誰よりもお前を愛していました」
「長居するだけみんなを苦しめこちらも苦しい、堪忍して下されたく」
「皆、子供はあまり出来ないようですけど陽気に育てて下さい。あなたを嫌いになったから死ぬのでは無いのです。小説を書くのがいやになったからです。みんな、いやしい欲張りばかり。井伏さんは悪人です。」
藤村操の遺書
「巌頭之感/悠々たる哉天壤、/遼々たる哉古今、/五尺の小躯を以て此大をはからむとす、/ホレーショの哲學竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ、/萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く『不可解』。/我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。/既に巌頭に立つに及んで、/胸中何等の不安あるなし。/始めて知る、/大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。」
永井荷風の遺書
「余死する時葬式無用なり。死体は普通の自働車に載せ直に火葬場に送り骨は拾ふに及ばず。墓石建立また無用なり。新聞紙に死亡広告など出すこと元より無用/ 余が財産は仏蘭西アカデミイゴンクウルに寄附したし。(下略)」
「拙老死去ノ節葬式執行不致候事。/墓石建立致スマジキ事。/遺産は何処ヘモ寄附スルコト無用也。」
三島由紀夫の遺書
「楯の会会員たりし諸君へ/諸君の中には創立当初から終始一貫行動を共にしてくれた者も、僅々九ケ月の附合の若い五期生もゐる。しかし私の気持としては、経歴の深浅にかかはらず、一身同体の同志として、年齡の差を超えて、同じ理想に邁進してきたつもりである。たびたび、諸君の志をきびしい言葉でためしたやうに、小生の脳裡にある夢は、楯の会全員が一丸となつて、義のために起ち、会の思想を実現することであつた。それこそ小生の人生最大の夢であつた。日本を日本の真姿に返すために、楯の会はその總力を結集して事に当るべきであつた。このために、諸君はよく激しい訓練に文句も言はずに耐へてくれた。今時の青年で、諸君のやうに、純粋な目標を据ゑて、肉体的辛苦に耐へ抜いた者が、他にあらうとは思はれない。革命青年たちの空理空論を排し、われわれは不言実行を旨として、武の道にはげんできた。時いたらば、楯の会の真價は全国民の目前に証明される筈であつた。しかるに、時利あらず、われわれが、われわれの思想のために、全員あげて行動する機会は失はれた。日本はみかけの安定の下に、一日一日、魂のとりかへしのつかぬ癌症状をあらはしてゐるのに、手をこまぬいてゐなければならなかつた。もつともわれわれの行動が必要なときに、状況はわれわれに味方しなかつたのである。このやむかたない痛憤を、少数者の行動を以て代表しようとしたとき、犠牲を最小限に止めるためには、諸君に何も知らせぬ、 といふ方法しか残されてゐなかつた。私は決して諸君を裏切つたのではない。楯の会はここに終り、解散したが、成長する諸君の未来に、この少数者の理想が少しでも結実してゆくことを信ぜずして、どうしてこのやうな行動がとれたであらうか? そこをよく考へてほしい。日本が堕落の渕に沈んでも、諸君こそは、武士の魂を学び、武士の練成を受けた、最後の日本の若者である。諸君が理想を放棄するとき、日本は滅びるのだ。私は諸君に男子たるの自負を教へようと、それのみ考へてきた。一度楯の会に属したものは、日本男児といふ言葉が何を意味するか、終生忘れないでほしい、と念願した。青春に於て得たものこそ終生の宝である。決してこれを放棄してはならない。ふたたびここに、労苦を共にしてきた諸君の高潔な志に敬意を表し、かつ盡きぬ感謝を捧げる。天皇陛下万歳!楯の会々長 三島由紀夫」
円谷幸吉の遺書
「父上様母上様三日とろろ美味しうございました。干し柿もちも美味しうございました。/敏男兄姉上様 おすし美味しうございました。/勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。/巌兄姉上様しそめし南ばんづけ美味しうございました。/喜久造兄姉上様ブドウ液養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。/幸造兄姉上様往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。/正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。/幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になってください。/父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。/何卒 お許し下さい。/気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。/幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。」
森鷗外の遺言
「余ハ少年ノ時ヨリ老死ニ至ルマデ一切秘密無ク交際シタル友ハ賀古鶴所君ナリ/コヽニ死ニ臨ンテ賀古君ノ一筆ヲ煩ハス/死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ/奈何ナル官憲威力ト雖此ニ反抗スル事ヲ得スト信ス/余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス/宮内省陸軍皆縁故アレドモ生死別ルヽ瞬間アラユル外形的取扱ヒヲ辭ス/森林太郎トシテ死セントス/墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可ラス/書ハ中村不折ニ依託シ宮内省陸軍ノ榮典ハ絶對ニ取リヤメヲ請フ/手續ハソレゾレアルベシ/コレ唯一ノ友人ニ云ヒ殘スモノニシテ何人ノ容喙ヲモ許サス/大正十一年七月六日/森林太郎(以下省略)」
(東京都・望月喜久代)
〇 無花果の落ちたるを踏み滑りけり
↧
↧
December 5, 2013, 10:55 pm
[馬場あき子選]
(富山市・松田梨子)
〇 志望校何度聞かれても変わらない生まれて初めて頑固な私
この程度の作品で三選者共選、しかも「馬場あき子選」の首席である。
作者の松田梨子さんからすれば、「儲かった」という気分なのかも知れません?
〔返〕 「わたしでもこれぐらいなら詠めるわよ」松田わこさん悔しがってる
(前橋市・荻原葉月)
〇 紅葉の山また山を駆け下りる嬬恋キャベツ積みしトラック
(吹田市・谷村修三)
〇 つぎつぎにわが足元に降り積もるドングリというとおき日の音
(川越市・小野長辰)
〇 くちなはにひなを吞まれてないてゐる鳩と一緒に泣く雨あがり
(東京都・尾張英治)
〇 出棺の亡き父送る木遣歌職人の声切々と響く
(石川県・瀧上裕幸)
〇 ガラス窓に何度も体ぶつけてはまだまだ元気な霜月の蜂
(蓮田市・斎藤哲哉)
〇 九年飼いしペットの兎の臨終に学校休みていちにち添いき
(札幌市・藤林正則)
〇 オホーツク海望む牧場の牛二百去りて茫茫木枯らしの吹く
(福島市・澤正宏)
〇 寒暖差きびしい畑の小春日にそっと弾ける大豆の鞘あり
(大阪市・岡田梨湖)
〇 秋晴れが季節を感じ肌寒くピストルが鳴りかやくの匂い
[佐佐木幸綱選]
(大和郡山市・四方護)
〇 振袖の島倉千代子が歌うとき白黒映画に紫の射す
(神戸市・安川修司)
〇 ひばり派に分が悪いけど美空より歌姫だった島倉千代子
(八尾市・石井國弘)
〇 バイトして熊になりきるぬいぐるみプーさん終えれば我も子の親
(福島市・武藤恒雄)
〇 リア充もソロ充も越えプア充を生きねばならぬ耐えねばならぬ
(岐阜市・沖山弘次)
〇 明治より積もり積もりし柿畑のふわふわ土を踏んで実を捥ぐ
(網走市・寺澤和彦)
〇 的に向く矢先をひとつ雪虫が横切りてゆく秋の道場
(霧島市・久野茂樹)
〇 ジャージー牛ガンジー牛にホルスタイン高千穂牧場秋雲の下
(東京都・井ノ川澄夫)
〇 八海に朝日が昇る地に育ち富士に夕日の沈む地に老ゆ
(富山市・松田梨子)
〇 志望校何度聞かれても変わらない生まれて初めて頑固な私
(静岡県・湊治美)
〇 おとなりのピラカンサ赤くわが庭の大文字草が白き秋の日
[高野公彦選]
(福山市・武暁)
〇 吉備路なる五重塔の境内に秋は込み合う甘酒屋あり
(札幌市・清水薫)
〇 たっぷりと温もり残して待っていた 間に合わなかったあなたの体
(横浜市・江良彦之)
〇 独り居のかなしき背中靴べらに軟膏つけて掻きこするなり
(島田市・水辺あお)
〇 魅力ある出口がなくて若者らバーチャル画面の中より出でず
(東京都・上田結香)
〇 偽装したレストランでも思い出はあの日のみんなの笑顔は本物
(東京都・狩集祥子)
〇 「消費税が上がるんだって」冬の宵皮をむきつつ文旦に言う
(大館市・小林鐐悦)
〇 リハビリで友が削りし夫婦箸朝餉夕餉にこの手になじむ
(浦安市・菊竹佳代子)
〇 からすうり柿の実ガマズミ秋の実はしいんと寂し色朱けれど
(八戸市・山村陽一)
〇 吾が街は南部の里と呼ばれつつ朝の味噌汁に菊の花撒く
(東京都・大村森美)
〇 続きたる嵐に遇ひて島に来たアサギマダラの翅はぼろぼろ
↧
December 6, 2013, 11:12 pm
[佐佐木幸綱選]
(大和郡山市・四方護)
〇 振袖の島倉千代子が歌うとき白黒映画に紫の射す
(神戸市・安川修司)
〇 ひばり派に分が悪いけど美空より歌姫だった島倉千代子
(八尾市・石井國弘)
〇 バイトして熊になりきるぬいぐるみプーさん終えれば我も子の親
(福島市・武藤恒雄)
〇 リア充もソロ充も越えプア充を生きねばならぬ耐えねばならぬ
(岐阜市・沖山弘次)
〇 明治より積もり積もりし柿畑のふわふわ土を踏んで実を捥ぐ
(網走市・寺澤和彦)
〇 的に向く矢先をひとつ雪虫が横切りてゆく秋の道場
(霧島市・久野茂樹)
〇 ジャージー牛ガンジー牛にホルスタイン高千穂牧場秋雲の下
(東京都・井ノ川澄夫)
〇 八海に朝日が昇る地に育ち富士に夕日の沈む地に老ゆ
(富山市・松田梨子)
〇 志望校何度聞かれても変わらない生まれて初めて頑固な私
(静岡県・湊治美)
〇 おとなりのピラカンサ赤くわが庭の大文字草が白き秋の日
[高野公彦選]
(福山市・武暁)
〇 吉備路なる五重塔の境内に秋は込み合う甘酒屋あり
(札幌市・清水薫)
〇 たっぷりと温もり残して待っていた 間に合わなかったあなたの体
(横浜市・江良彦之)
〇 独り居のかなしき背中靴べらに軟膏つけて掻きこするなり
(島田市・水辺あお)
〇 魅力ある出口がなくて若者らバーチャル画面の中より出でず
(東京都・上田結香)
〇 偽装したレストランでも思い出はあの日のみんなの笑顔は本物
(東京都・狩集祥子)
〇 「消費税が上がるんだって」冬の宵皮をむきつつ文旦に言う
(大館市・小林鐐悦)
〇 リハビリで友が削りし夫婦箸朝餉夕餉にこの手になじむ
(浦安市・菊竹佳代子)
〇 からすうり柿の実ガマズミ秋の実はしいんと寂し色朱けれど
(八戸市・山村陽一)
〇 吾が街は南部の里と呼ばれつつ朝の味噌汁に菊の花撒く
(東京都・大村森美)
〇 続きたる嵐に遇ひて島に来たアサギマダラの翅はぼろぼろ
↧
December 8, 2013, 8:48 pm
[高野公彦選]
(福山市・武暁)
〇 吉備路なる五重塔の境内に秋は込み合う甘酒屋あり
「吉備路なる五重塔」と言えば、人も知る・岡山県総社市に在る「備中国分寺」を指して言うのである。
備中国分寺の境内には、「くろひめ亭」という屋号の観光案内所が在り、同亭を初めとした、国分寺境内及びその近辺の土産物店では、地元産の赤米で造った「甘酒」を販売している、とか。
掲句は、秋闌の頃の備中国分寺境内の「甘酒屋」の繁盛振りに取材した作品でありましょう。
〔返〕 ライトアップされて輝く五重塔 備中国分寺暮れの賑い
(札幌市・清水薫)
〇 たっぷりと温もり残して待っていた 間に合わなかったあなたの体
「たっぷりと温もり残して」いただけに、「間に合わなかった」ことが、すごく残念だったのでありましょう。
亡骸が「たっぷりと温もり残して」いたのは、作者の清水薫さんが、亡くなった人が息を引き取った直後に駆け付けたからであるが、それを「たっぷりと温もり残して待っていた」と感じたのは、亡くなった人の命を愛おしむ作者の熱い思いが込められている反映されているからであり、清水薫さんが格別に非科学的な考え方をする人間とは言えません。
五句目の七音「あなたの体」は、極めてリアルな表現である。
〔返〕 抱き締めてなほ抱き締めて嗚咽して汲み尽くせぬはあなたの体
(横浜市・江良彦之)
〇 独り居のかなしき背中靴べらに軟膏つけて掻きこするなり
「かなしき」ことに「独り居」の者にさえも「体」なるものがあり、時折りは、痛くなったり痒くなったりするのである。
問題は、痛くなったり痒くなったりする箇所である。
痛くなった箇所が、手足とか腹部だとかの、手の届く範囲内であったならば、久光製薬から発売されている「サロンパスA」を貼ったり、近江兄弟社から発売されている「メンターム」を塗ったりすればいいのであるが、不幸にも、背中などの手の届かない箇所であったりすると、「靴べらに軟膏つけて掻きこするなり」という次第になってしまうのである。
〔返〕 独り居の気儘な今宵テレビ点け高梨沙羅の飛躍に魅入る
(島田市・水辺あお)
〇 魅力ある出口がなくて若者らバーチャル画面の中より出でず
「魅力ある出口がなくて」では無くて、「魅力ある出口」があっても「バーチャル画面の中」から出ようとしたり、「魅力ある出口」の「魅力ある」側面に近づこうとしたりする事が無いのである。
それはともかくとして、「若者ら」が「バーチャル画面の中より出でず」という題材も、今や古色を帯びた月並みな主題と化してしまったような感じである。
〔返〕 魅力ある短歌の題材今や無し感性磨いて掘り起しなさい
(東京都・上田結香)
〇 偽装したレストランでも思い出はあの日のみんなの笑顔は本物
「永田和宏選」の五席と共選。
〔返〕 偽装したレストランでの食事だと知りつつも行くパック旅行へ
(東京都・狩集祥子)
〇 「消費税が上がるんだって」冬の宵皮をむきつつ文旦に言う
何も「文旦」に向って言わなくたっていいのに!
「文旦」一顆の値段は、通販で買っても六百円以上もするんですよ。
病気見舞いの果物籠に入れて紀ノ国屋や明治屋で買ったら、一顆あたり千円以上につくかも知れませんよ。
「キッチンで皮をむきつつ大根に言う」としたり、「キッチンで皮をむきつつ玉葱に言う」としたりしないで、「冬の宵皮をむきつつ文旦に言う」としたところが、この作者特有の発想なのである。
〔返〕 「マー君の楽天残留決定だって!」大根抜きつつ大根に言う
(大館市・小林鐐悦)
〇 リハビリで友が削りし夫婦箸朝餉夕餉にこの手になじむ
決して出来が良かった訳でも、値段が格安でも無かった「夫婦箸」なのであるが、「朝餉夕餉にこの手になじむ」のである。
〔返〕 チラシ折り我が作った屑入れが使われぬままキッチンに在り
(浦安市・菊竹佳代子)
〇 からすうり柿の実ガマズミ秋の実はしいんと寂し色朱けれど
「からすうり・柿の実・ガマズミ」と、物の名を連ねる手法は、今やパターンした月並みな手法と言うべきである。
また、「色朱けれど」「しいんと寂し」という言い方にも、格別なる新味が認められない。
〔返〕 「さがびより・森の熊さん・ヒノヒカリ」九州産米特A獲得
(八戸市・山村陽一)
〇 吾が街は南部の里と呼ばれつつ朝の味噌汁に菊の花撒く
「南部地方」とは、「江戸時代に南部氏の所領だった地域。単に南部とも言う。明治維新前までの陸奥国の北部に位置し、現在の青森県の東半分、岩手県の北部および中部、秋田県北東部の一角という3県にまたがる広大な地域を指す。」
掲歌の作者・山村陽一さんがお住いの八戸市は、かつて「小南部・古南部」と呼ばれた地域の中心都市であったのである。
「南部の里と呼ばれつつ」も「朝の味噌汁に菊の花」など「撒く」のは、「もってのほか」の贅沢三昧、という訳でありましょうか?
〔返〕 古里で黄色い菊だけ食べ慣れてもってのほかは食べる気もせず
(東京都・大村森美)
〇 続きたる嵐に遇ひて島に来たアサギマダラの翅はぼろぼろ
「アサギマダラ」は、「春から夏にかけては本州等の標高1000mから2000mほどの冷涼な高原地帯に繁殖し、秋、気温の低下と共に適温の生活地を求めて南方へ移動を開始し、遠く九州や沖縄、更には八重山諸島や台湾にまで海を越えて飛んで行く」とのこと。
「海を渡っての1000km以上の大移動であり、台湾の陽明山まで飛び、2100km以上の超長距離飛翔を達成したアサギマダラも、これまでに5個体が確認されている」とのこと。
蝶が超長距離飛翔を果たしたうえに、飛翔の途上、台風に見舞われたとしたならば、「島に来たアサギマダラの翅はぼろぼろ」ということも、当然のことでありましょう。
〔返〕 昨年に続いて嵐が紅白の司会を務める白組負けろ
↧
December 9, 2013, 2:23 pm
[金子兜太選]
(群馬県東吾妻町・酒井せつ子)
〇 天におはす母にも見ゆる吊し柿
(小田原市・藤田顕英)
〇 真夜中に来し前方にスキー場
(船橋市・斉木直哉)
〇 体操を切る精悍や冬の鳥
(上尾市・新井三七二)
〇 稲架の馬濁世を離れ駈けむ今
(東京都・山森欣一)
〇 小春日よ月見台から落葉船
(津市・中山いつき)
〇 冬耕に猿投返す小石かな
(広島県府中町・宮本悠三)
〇 少年の探しに戻る木の実かな
(熊本市・坂崎善門)
〇 冬木立笑ひこけたはけさのこと
(高松市・白根純子)
〇 整然としたる底冷潜む苑
(岐阜市・阿部恭久)
〇 十一月の大統領の大使かな
[長谷川櫂選]
(オランダ・モーレンカンプふゆこ)
〇 オランダの光の中を秋が行く
(船橋市・藤井元基)
〇 あらためて妻あるを知る根深汁
(川越市・益子さとし)
〇 十二月八日大虐殺の始まりぬ
(田川市・山田千恵女)
〇 粕汁や一人分とは冷め易く
(佐伯市・吉武厚男)
〇 山頭火さまよへるごとしぐれけり
(東京都・上川畑裕文)
〇 まぼろしの少年とをる焚火かな
(立川市・植苗枝葉)
〇 素戔嗚も頬を緩めむ七五三
(船橋市・斉木直哉)
〇 冬めくや日々白銀の蜘蛛の糸
(八王子市・大串若竹)
〇 雪吊を見て鯉を見て帰りけり
(枚方市・中村輝雄)
〇 五十年冬山愛し老いにけり
[大串章選]
(奈良市・坪内香文)
〇 白鳥や水の緊張たかまりぬ
(古賀市・白石匡子)
〇 林檎捥ぐ空の青さも籠に入れ
(西海市・前田一草)
〇 颯爽と馬車で皇居へ黄落期
(横浜市・山本裕)
〇 木枯しと森へ消えゆく少女かな
(福山市・広川良子)
〇 捜されてゐて短日の駅に会ふ
(立川市・越智麦州)
〇 数学の答は一つ葱刻む
(金沢市・酒井正二)
〇 荒海や風除け並ぶ漁師町
(東京都・土方けんじ)
〇 木枯しが骨を鳴らして過ぎにけり
(福島県伊達市・佐藤茂)
〇 降り積もる落葉の海に浮かびけり
(横浜市・木村あや子)
〇 残菊や父亡きあとの大時計
[稲畑汀子選]
(横浜市・犬山達四郎)
〇 なぜ掃くや落葉積りし豊かさを
(三郷市・岡崎正宏)
〇 風呂に入り肩まで冬を沈めけり
(伊万里市・萩原豊彦)
〇 居酒屋の前で決つて夕時雨
(平戸市・辻美禰子)
〇 山坊の新たな生命笹子鳴く
(阿南市・湯浅芙美)
〇 石路咲けど笹鳴すれど師は在さず
(岐阜市・中島弘子)
〇 うかうかと十一月を迎へけり
(筑紫野市・多田蒼生)
〇 冬ざるる風の大観峰に立つ
(久留米市・谷川章子)
〇 家事といふ限のなきもの冬に入る
(熱海市・野間泰子)
〇 しあはせな疲れのひと日七五三
(寝屋川市・岡西恵美子)
〇 秋天は雲のまほろば明日も旅
↧
↧
December 10, 2013, 3:35 pm
雨上がりの北東の空に
アジア大陸のような黒い雲が浮かんでいた
大陸と大陸から突き出た半島が結託して
邪魔者を突き飛ばしたのであろうか
日本列島の四つの島は
太平洋のど真ん中
赤道直下の
ギルバート諸島の沖に
丸く縮こまって沈んでいた
お互いに庇い合うように手を握り合って
ものも言わずに沈んでいた
尖閣列島や竹島は勿論
沖縄の島々も
北方の四島も
その欠片さえ見えなかった
[馬場あき子選]
(越前市・内藤丈子)
〇 七回も一年生を受け持ちてピュアな心をもらえて幸せ
校長やご父兄からの信頼が篤くなければ、「七回も一年生を受け持」つことなど出来ません。
それを承知していながら、「七回も一年生を受け持ちてピュアな心をもらえて幸せ」などと惚けたことを言ってるところが、掲歌の作者・内藤丈子さんの内藤丈子さんたる所以であると同時に小憎らしいところでもある。
〔返〕 七回も一年生を受け持てばピュアーな心をむしろ失う
(名古屋市・中村桃子)
〇 ガラケーもスマホもないけど手書き文字がこころを映す交換日記
「ガラケー」の「ガラ」とは「ガラパゴス」の「ガラ」であり、「ガラケー」とは「ガラパゴスケータイ」、即ち「日本独自で出回っていて、国際性の無い携帯電話」のことを指して言うのである。
それはそれとして、掲歌の作者・中村桃子さんは、「ガラケーもスマホもないけど手書き文字がこころを映す交換日記」などと、今時の学童にしてはかなり珍しいことを言っているけど、今時、「手書き文字」で以って「交換日記」を書いていること自体が極めて珍しいことであり、そうした習慣こそは、言わば「ガラパゴス現象」を呈していると言わなければなりません。
そもそも、手書きであろうがメールであろうが、「交換日記」などと言う大時代的なことを平気でやらかすこと自体が、昨今の子供社会の中に在っては「ガラパゴス化」していると認識され、仲間外れにされたり、虐められたりする原因になる怖れがありますから、よくよく注意しなければなりません。
「交換日記」と言えば思い出すのは、「マコとミコの交換日記」即ち『愛と死をみつめて』である。
同書は、「大学生・河野實(マコ、1941・8・8 〜 )と、軟骨肉腫に冒され21年の生涯を閉じた大島みち子(ミコ、1942・2・3〜1963・8・7)との3年間に及ぶ文通を書籍化したものであり、1963年(昭和38年)に出版され、160万部を売り上げる大ヒットを記録した大ベストセラー」である。
「関連本として、大島みち子著の『若きいのちの日記』や河野實著の『佐智子の播州平野』も出版され、その後のマスコミで話題となった『世界の中心で、愛をさけぶ』や『いま、会いにゆきます』などの純愛小説の先駆けだったとも言え、ラジオドラマやテレビドラマや映画化されたり、関連レコードも発売されたりして、版元及び著者に莫大な富を齎した」とか。
あれから半世紀余りの歳月が経過して、今は西暦2013年の歳末。
それなのに、未だに「手書き文字」で以って記した「交換日記」を交わしている学童が存在しているとは「驚き桃の木山椒の木」。
何卒、「ガラパゴス化」せぬよう、よくよく注意されたし。
〔返〕 ガラケーもスマホも金も要りません採って下さい私の短歌
(山口市・藤井盛)
〇 部屋ごとのドア照らされて静まれり老人ホームに秋の夜更けゆく
今から四年前までは私の連れ合いの母親が、現在は、私の実姉や連れ合いの妹の義母が高齢者介護施設にお世話になっているので、私は、時折り、高齢者介護施設にお見舞いに出掛けますが、詠い出しの「部屋ごとのドア照らされて静まれり」が、「老人ホーム」の「秋の夜」の「更けゆく」有り様を彷彿とさせて、真にリアルな表現である、と思われるのである。
〔返〕 ぼそぼそと呟く声の聞こえ来て介護施設の正午の近し
(大和郡山市・四方護)
〇 盆地の町出でて盆地の町に居る亀にはならず兎にもなれず
「亀にはならず兎にもなれず」ということでありますが、「ならず」と「なれず」との違いは、何らかの観点に立って、「亀」と「兎」との間に優劣を付けた事に拠って生じた違いでありましょうか?
日本昔話の「兎と亀」に拠れば、「兎」は早足自慢の怠け者にして愚か者。
他方の「亀」は、鈍足ながらもしこしこしこと弛まず歩いて早足自慢の兎に勝利した努力家にして知恵者。
それでも尚且つ、掲歌の作者・四方護さんは、「亀にはならず兎にもなれず」と仰りたいのでありましょうか?
だとしたら、そんな派手好きな輩は、山また山に囲まれた吉野の奥に隔離して、西行庵の管理人にでもしなければなりません。
〔返〕 盆地の町出でて未だに盆暗と呼ばれながらも歌などを詠む
(富山市・松田梨子)
〇 焼きたてのスフレのような妹のほっぺが白い初雪を見る
(浜松市・松井恵)
〇 幾千の暗く秘密の夜ありき小林多喜二虐殺されし
(伊那市・小林勝幸)
〇 蕎麦打つと野良猫がきて虻がきて賑いの増す吾が午後の庭
(舞鶴市・吉富憲治)
〇 高値呼ぶ冬虫夏草ブータンの斜面に探す父子に雪降る
(埼玉県・小林けい子)
〇 いくさ負け農地改革なりし日の小作の母の炊きし赤飯
(鹿角市・柳澤裕子)
〇 ムキムキと太りごつごつたくましく榲桲の実に秋闌けてゆく
[佐佐木幸綱選]
(東京都・半杭螢子)
〇 福島より避難生活二年九カ月われも夫も疲れ果てたり
(石川県・瀧上裕幸)
〇 浦町の能登黒瓦光りだす鰤起こし去りし静かな夜明け
(静岡市・安藤勝志)
〇 気嵐の覆ひ流るる北の河羽音かすかに水鳥の飛ぶ
(浜松市・松井恵)
〇 黒い木に「いちじく食ふな」の札がゆれ原発近き荒れ畑が見ゆ
(神奈川県・富田茂子)
〇 一対の石の狐を置く祠この屋の女将が朝夕拝む
(大阪市・浅生有記)
〇 八百本玉ネギ植えて飲むコーヒー父は砂糖を三杯入れて
(富山市・松田わこ)
〇 あっ素敵な名前「勝沼ぶどう郷」ぶどうの色の夕暮れの駅
(宗像市・巻桔梗)
〇 にほさんぽしほでざうりを履きなほし履きなほしつつ千歳飴がゆく
(向日市・赤川次男)
〇 国民に見ざる聞かざる言わざるを強いる事項は?それも秘密だ!
(三郷市・岡崎正宏)
〇 思いより時代が我を超えて行く汚染は止まず秘密保護法
[高野公彦選]
(志摩市・九鬼英夫)
〇 連れ合いを亡くした人と逢わぬようコースを選び夫婦ウォーキング
(神戸市・有馬純子)
〇 朝をゆく星船ひとつ 動かざる北極星と並ぶ刹那の遭遇
(名古屋市・諏訪兼位)
〇 ザンベジの大河の流れ轟落す水煙揚りて月紅淡し
(大分市・岩永知子)
〇 一つ灯につどひし友はみんな嫠婦みんな達者で新蕎麦すする
(三島市・石井瑞穂)
〇 山宿の炉火あかあかと学徒兵の夫ははじめて戦を語る
(川崎市・赤松郁夫)
〇 ハンマーで鋼線叩き絹糸の音色を紡ぐピアニストの指
(鎌倉市・小島陽子)
〇 漂白したカップで頂くレモンティー眠りを覚まし一日始まる
(宇都宮市・柏木恵美)
〇 骨だけが残った秋刀魚不器用な息子の成長一つ見つける
(磐田市・伊藤正則)
〇 釡炊きの新米ご飯に妻の漬けし十年の梅のせていただく
(名古屋市・中村桃子)
〇 ガラケーもスマホもないけど手書き文字がこころを映す交換日記
[永田和宏選]
(岸和田市・西野防人)
〇 トイレなきマンションではなく核のゴミは着陸できない旅客機なのだ
(松山市・宇和上正)
〇 捨て場無きゴミ作るなと言ふ人を無責任とぞ責むる無責任
(津山市・菱川佳子)
〇 孫という熱き体を抱き締めて秘密保護法成立を怖る
(行方市・鈴木節子)
〇 知らぬ間に戦争うしろに立っていた秘密保護法そんな気がする
(弘前市・今井孚)
〇 四つ角の火の見櫓の錆色に西日冷え冷え立冬過ぎけり
(本庄市・福島光良)
〇 月光に照らされ君は二次元の存在となり更に美し
(横浜市・折津侑)
〇 過去形で謂うのねと妻が拗ねている「綺麗だった」と褒めているのに
(名古屋市・中村桃子)
〇 ガラケーもスマホもないけど手書き文字がこころを映す交換日記
(熊本市・近藤史紀)
〇 いろいろな「ばか」を君からもらえども最後の「バカ」の頼り無きこと
(東京都・石黒敢)
〇 よき友と永の別れとなりにけりしぐれに濡れる根津の坂道
↧
December 11, 2013, 12:45 am
[佐佐木幸綱選]
(東京都・半杭螢子)
〇 福島より避難生活二年九カ月われも夫も疲れ果てたり
「原発関連」、「福島関連」の作品は、あの日から一千日を経過した今となっては、必ずしもトレイディーな作品とは言われなくなってしまいました。
それにも関わらず、選者の佐佐木幸綱氏は、この作品の如何なる点を佳しとして、この作品に如何なる魅力をお感じになられ、首席作品としてお選びになったのでありましょうか?
俗世間のはしたない噂や、週刊誌などのゴシップ記事に拠ると、「アカ新聞たる朝日新聞は、社の方針として、本来的には記事及び社説、コラムなどで言及するべき意見などをストレートに主張しないで、その代替措置として、『声』欄や『朝日歌壇・朝日俳壇』などを通じて、読者に代弁させている」とか?
かく申す私は、父祖以来の朝日新聞の読者であり、彼のY紙やS紙などは、「時代錯誤の御用新聞」乃至は「スポーツ紙」紛いのB級新聞であると認識しているのでありますが、仮に、「朝日新聞」が俗世間の噂通りの新聞であり、「朝日歌壇」の選者諸氏も、知らず知らずの中にリモートコントロールされて、社の方針に従って投稿作品の選定に当たって居られるとしたならば、由々しき問題でありましょう。
それはともかくとして、掲歌「福島より避難生活二年九カ月われも夫も疲れ果てたり」の作者・半杭螢子さんが本作に託されたお気持ちは、私も一人の人間として、被災地と隣り合わせの県出身の者として、何よりも将来を真っ暗に閉ざされた昨今の世の中に生きて行かなければならない庶民として、明日明日、黄泉路に旅立たなければならない、多病多悩の高齢者として、人並み以上に解りますが、短歌作品の出来栄えとしては、今ひとつ、首肯する気にはなりません。
短歌作品の評価に際しては、「何を詠むか?」という事に加えて、「どう詠むか?」という観点に立脚することも必要であり、本作は、「何を詠むか?」という点はともかくとして、「どう詠むか?」と点に於いては、必ずしも万人が万人、及第点を与えるような作品とは思われません。
作者及び、本ブログの読者の方々に於かれましては、如何お思いがありましょうか?
〔返〕 感情を剥き出しにすれば破綻する推敲不足再考を乞う
(石川県・瀧上裕幸)
〇 浦町の能登黒瓦光りだす鰤起こし去りし静かな夜明け
能登路に歩いていて印象深いのは屋根瓦の黒さである。
能登の人々が、黒くていかにも重そうな「黒瓦」を屋根に載せているのは、「屋根の上に積もった雪が、早く解けて滑り落ちやすいから」とか?
掲歌に詠まれているのは、「『鰤起こし』が去った後の『静かな夜明け』に、『浦町』の家々の屋根に乗っかっている『黒瓦』が、突如、輝きを増した」という、特異な光景である。
人間に非ざる「能登黒瓦」と言えども、「浦町」に「鰤起こし」が轟いている間は鳴りを潜めていたのであるが、鰤漁開始の合図たる「鰤起こし」が去ってしまったので、「いざ、出漁!」とばかりに「光り」出したのでありましょう。
〔返〕 光れるは漁労長の頭なり「いざ、鰤群来!」輝けるなり
(静岡市・安藤勝志)
〇 気嵐の覆ひ流るる北の河羽音かすかに水鳥の飛ぶ
「晩秋から冬に掛けての寒い朝、大気の温度より海水の温度が高い場合、海面から蒸発した水蒸気が大気によって急激に冷やされることによって蒸気霧が発生するのであるが、そうした現象を気嵐(けあらし)と言う」とか。
掲歌の三句目が「北の河」となっているのであるが、小説家・高井有一氏が『北の河』で以って「第五十四回・芥川龍之介賞」を受賞したのは、1965年の下半期のことであり、受賞者・高井有一氏は、戦後間もなくの頃、父祖の地・秋田県角館町に疎開していたのであるが、「みちのくの小京都」として知られる角館町には、雄物川水系玉川の支流たる桧木内川の流域に在るので、「桧木内川」の流域での屈折に満ちた青春時代を、小説『北の河』として著したのである。
「北の河」たる桧木内川には、毎年、晩秋になると幾千羽とも知れない「水鳥」が北の国から飛翔して来るのであり、その頃になると「気嵐」も立ち込めるのである。
掲歌の題材となった風景は、真に勝手ではありますが、「『気嵐』に覆われて流れる桧木内川に、今しも、『羽音かすかに水鳥の飛ぶ』風景」とさせていただきます。
(浜松市・松井恵)
〇 黒い木に「いちじく食ふな」の札がゆれ原発近き荒れ畑が見ゆ
(神奈川県・富田茂子)
〇 一対の石の狐を置く祠この屋の女将が朝夕拝む
(大阪市・浅生有記)
〇 八百本玉ネギ植えて飲むコーヒー父は砂糖を三杯入れて
(富山市・松田わこ)
〇 あっ素敵な名前「勝沼ぶどう郷」ぶどうの色の夕暮れの駅
(宗像市・巻桔梗)
〇 にほさんぽしほでざうりを履きなほし履きなほしつつ千歳飴がゆく
(向日市・赤川次男)
〇 国民に見ざる聞かざる言わざるを強いる事項は?それも秘密だ!
(三郷市・岡崎正宏)
〇 思いより時代が我を超えて行く汚染は止まず秘密保護法
[高野公彦選]
(志摩市・九鬼英夫)
〇 連れ合いを亡くした人と逢わぬようコースを選び夫婦ウォーキング
(神戸市・有馬純子)
〇 朝をゆく星船ひとつ 動かざる北極星と並ぶ刹那の遭遇
(名古屋市・諏訪兼位)
〇 ザンベジの大河の流れ轟落す水煙揚りて月紅淡し
(大分市・岩永知子)
〇 一つ灯につどひし友はみんな嫠婦みんな達者で新蕎麦すする
(三島市・石井瑞穂)
〇 山宿の炉火あかあかと学徒兵の夫ははじめて戦を語る
(川崎市・赤松郁夫)
〇 ハンマーで鋼線叩き絹糸の音色を紡ぐピアニストの指
(鎌倉市・小島陽子)
〇 漂白したカップで頂くレモンティー眠りを覚まし一日始まる
(宇都宮市・柏木恵美)
〇 骨だけが残った秋刀魚不器用な息子の成長一つ見つける
(磐田市・伊藤正則)
〇 釡炊きの新米ご飯に妻の漬けし十年の梅のせていただく
(名古屋市・中村桃子)
〇 ガラケーもスマホもないけど手書き文字がこころを映す交換日記
[永田和宏選]
(岸和田市・西野防人)
〇 トイレなきマンションではなく核のゴミは着陸できない旅客機なのだ
(松山市・宇和上正)
〇 捨て場無きゴミ作るなと言ふ人を無責任とぞ責むる無責任
(津山市・菱川佳子)
〇 孫という熱き体を抱き締めて秘密保護法成立を怖る
(行方市・鈴木節子)
〇 知らぬ間に戦争うしろに立っていた秘密保護法そんな気がする
(弘前市・今井孚)
〇 四つ角の火の見櫓の錆色に西日冷え冷え立冬過ぎけり
(本庄市・福島光良)
〇 月光に照らされ君は二次元の存在となり更に美し
(横浜市・折津侑)
〇 過去形で謂うのねと妻が拗ねている「綺麗だった」と褒めているのに
(名古屋市・中村桃子)
〇 ガラケーもスマホもないけど手書き文字がこころを映す交換日記
(熊本市・近藤史紀)
〇 いろいろな「ばか」を君からもらえども最後の「バカ」の頼り無きこと
(東京都・石黒敢)
〇 よき友と永の別れとなりにけりしぐれに濡れる根津の坂道
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December 11, 2013, 4:24 pm
退屈任せに黒田英雄氏の御ブログ『黒田英雄の安輝素日記』をペラペラと捲っていたところ、「『短歌人』12月号会員欄秀歌選」に朝日歌壇でお馴染みの野上卓氏の御作が掲載されているのを発見した。
事の重大性と意外性とに驚いて、私は、急遽、蒸しタオルで顔を拭った後、件のブログの昨年の五月分から本日分までを、目を皿のようにして閲覧させていただいたのである。
何分、老耄極まりない私のことでありますから、当然の事乍ら見落としなどの不備もあり得ましょうが、野上卓氏が、所属短歌誌『短歌人』にご投稿なさった作品の中の次の九首が、「歌壇のアンギラス」こと黒田英雄氏の厳しき御眼力に適ったと見受けられ、それぞれの月の「秀歌選」に晴れの入集を果たしていたので、先ずは、それをそのまま当ブログに無断転載させていただた上、大変失礼ながら、後日、老耄若輩なりの寸評を加えさせていただきますので、作者の野上卓氏並びに選者の黒田英雄氏に於かれましては、何卒、ご許容下さいますよう、宜しくお願い申し上げます。
事の序でに申し上げますが、『古今和歌集』以来の勅撰集時代の歌人諸賢は、勅撰集に自作品が入集すると、親戚縁者一族郎党を招待して、盛大なる饗宴を挙行された、とのこと。
野上卓氏は、人も知る「歌会始の儀」の入選歌人であり、畏れ多くも今上陛下並びに皇后陛下の御前で、詠進歌のご披講に及んだ、栄えある歌詠みではありますが、この度の御慶事に際しては、如何なる饗宴を挙行なさったのでありましょうか?
売れぬ絵を引き上げて去る老人にお疲れさまと画廊の主は(2013/12)
この国の悲哀のひとつ大陸の朱鷺を放ちて孵化を喜ぶ(2013/8)
メーデーのデモの終われば参加者はパートばかりの居酒屋で飲む(2013/5)
屠畜場の壁あつくして塀高く死にゆくものの声は届かず(同上)
上目遣う部下の視線も落ち着けりわが退任の日を伝えれば(2012/12)
王冠を二度叩いてから栓を抜く儀式もありぬ壜のキリンに(2012/11)
「わかった」といえばションベンして寝ろで常に終わりし父の小言は(同上)
自由とは若き女のことならん股下おおよそ風にさらして(2012/10)
復興会議に老人たちが集いきて生きてはおらぬ未来論じる(2012/7)
それにしても、皮肉たっぷりの作品であり、「『如何に詠むか?』という事よりも『何を詠むか?』という事が大切である」と主張して憚らない、「黒田英雄氏好み」の作品ではある。
↧
December 11, 2013, 8:21 pm
〇 駅前に赤青二個のポストあり二個とも口を閉ぢて黙れり 鳥羽省三
〇 駅前の赤いポストはもの言はず手紙を書かぬ吾を蔑む
〇 駅前の青いポストは速達用料金高くて速達出さぬ
〇 駅前の赤青二個のポスト見て「鬼みたいね」と孫は言ひたり
〇 メール打ち誰も手紙を書かざれば二個のポストは道の妨げ
↧
↧
December 12, 2013, 6:20 pm
[高野公彦選]
(志摩市・九鬼英夫)
〇 連れ合いを亡くした人と逢わぬようコースを選び夫婦ウォーキング
熱々の「夫婦ウォーキング」と「連れ合いを亡くした人」に対する優しい配慮とはなかなかに両立し難いのである。
〔返〕 この際は見せつけてやれ!熱々のコース選ばぬ夫婦ウォーキング!
(神戸市・有馬純子)
〇 朝をゆく星船ひとつ 動かざる北極星と並ぶ刹那の遭遇
寸評に「星船(若田さんの乗った国際宇宙ステーション)が北極星と並んだ一瞬を描く」とあり。
然り、その通りである。
万葉人たちの想像力は逞しく、万葉集所収の「天の海に雲の波立ち月の舟星の林に漕ぎ隠る見ゆ」(1068)、「天の河相向き立ちてわが恋いし君来ますなり紐解き設けな」(1518)、「夕星も通ふ天道をいつまでか仰ぎて待たむ月人壮人」(2010)、「天の河霧立ち渡り彦星の楫の音聞こゆ夜の更けゆけば」(2044)、「天の海に月の舟浮け桂楫懸けて漕ぐ見ゆ月人壮士」(2223)、「織女し舟乗りすらしまそ鏡清き月夜に雲立ちわたる」(3900)などの月を詠んだ和歌は、私たちとは遠く時代を隔てた万葉人が如何に宇宙への思いを馳せていたかを証明するものであり、また、『小倉百人一首』所収の「かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける」は、万葉集の編集者に擬せられている大伴家持作の同趣向の作品である。
〔返〕 宙の海を若田船長漕ぎ行けば織姫様がウインクをする
あまのはら若田船長漕ぎ行けば七夕姫が投げキスをする
漕ぎ行けば月の桂の「お・も・て・な・し」若田船長吃驚仰天
「月の桂」とは、「延宝三年(1675)創業の京都・伏見の造り酒屋・?増田徳兵衞商店が製造販売している本醸造酒の名称」であるが、是非とも一度お試しあれ。
(名古屋市・諏訪兼位)
〇 ザンベジの大河の流れ轟落す水煙揚りて月紅淡し
アフリカ大陸の南部を縫って流れるザンベジ川に懸かるビクトリア瀑布の水が雷鳴を轟かせて落下する様を述べたのでありましょう。
膨大な水量の滝の落下と共に、其処に忽ち「水煙」が揚がるのであり、瀑布に懸かるくれない色をした月と白い水煙との神秘な天体ショーが展開されるのでありましょう。
〔返〕 ザンベジの流れ堰き止めダム築きアフリカ大陸悉皆照明
(大分市・岩永知子)
〇 一つ灯につどひし友はみんな嫠婦みんな達者で新蕎麦すする
「嫠婦」とは、「夫に先立たれた妻」つまり「後家・寡婦」を指して言うのである。
この場面で、敢えて「嫠婦」という難読かつ難解なる語を使ったのは、表現者としての、歌人としての、驕りとプライド(と言うか“見栄”と言うか)の然らしむるところでありましょうか?
それはともかくとして、「一つ灯につどひし友」が「みんな達者で新蕎麦」を「すする」のは、極めて楽しいことでありましょう。
私が田舎暮らしをしていた当時、私の居住する地域には「〇〇町未亡人会」なる名称の集いが在り、ある年の年次総会に、ゲストとして私が招かれたことがありましたが、「短歌とは何ぞや」という演題で一席ぶった後、厚化粧した嫠婦たちに、寄って集って囲まれて「銘酒・爛漫」を鱈腹飲ませられ、ワイシャツの袖口にキスマークなどを捺されてモテモテ気分で帰宅したところ、連れ合いから締め出しを喰らった事がありました。
それ以来、「嫠婦」なる人種とは席を共にしない事にしておりますから悪しからず。
〔返〕 吉野家に集いし友はみんなケチ俺の奢りで牛丼啜る
(三島市・石井瑞穂)
〇 山宿の炉火あかあかと学徒兵の夫ははじめて戦を語る
是を称して「炉火の誘い」と謂うのである。
即ち、掲歌中の「学徒兵の夫」が「はじめて戦を語る」のも、三島由紀夫作『潮騒』に登場する少年と少女が結ばれたのも、全て「炉火の誘い」の為す業なのである。
〔返〕 幕営の炉火あかあかと頬に燃え織田信長は猿を一喝
(川崎市・赤松郁夫)
〇 ハンマーで鋼線叩き絹糸の音色を紡ぐピアニストの指
「一見、ひ弱そうなピアニストは意外なことになかなかの力持ちである」との趣向の短歌作品には、格別な目新しさを感じることは出来ません。
だが、敢えてするならば、「絹糸の音色を紡ぐピアニストの指」としたところが「同趣向の他の作品と異なっていて、作者・赤松郁夫さんの感受性の細やかさと発想力の豊かさを感じさせる」とだけ申し上げておきましょうか。
〔返〕 ハンマーが鋼線叩き絹糸の音色を紡ぐ仕掛けのピアノ
ハンマーが鋼線叩き絹糸の音色を紡ぐ仕掛けのYAMAHA
と、どうせなら此処までやらかした方が、「昨今流行りの音楽グルメとやらに対する風刺性も多少感じられて、それなりの趣きがある」と言えましょう。
(鎌倉市・小島陽子)
〇 漂白したカップで頂くレモンティー眠りを覚まし一日始まる
こと此処に至ると、「短歌創作は韓流ドラマを見厭きた有閑マダムの暇潰しの道具である」としか言えません。
詠み慣れた言葉捌きでスラスラスラと詠んでいるだけに、余計、そうした感情を催させるのでありましょうか?
そもそも、「レモンティー」を飲んで「眠りを覚まし」て「一日」が「始まる」といった発想自体が月並みであり、陳腐そのものなのである。
また、詠い出しの「漂白したカップで頂く」という字余りの二句は、ただ単に、「カップ」の「白」と「レモン」の「黄」との色の対照を狙っただけのことであり、作者独自の個性らしきものは何一つ感じられない作品である。
掲歌の作者は、「飲む」と言わずに「頂く」と言えば、「短歌作品としての格が上がり、生活レベルの高さが証明される」などと思っているのでありましょうか?
言葉と言葉の余白から、ぶくぶくぶくと悪臭を伴った黒い泡が噴出して来るような作品である。
かつて、女性作者の詠む短歌や俳句は、「台所短歌」「台所俳句」などという蔑称で以って呼ばれ、「男性作者のそれと比べて、一段と低い位置にある」と格付けされていたのであったが、それでも尚且つ、女性作者たちは、憤懣やる方ない思いを堪えて、「劫初よりつくりいとなむ殿堂にわれも黄金の釘一つ打つ」と与謝野晶子は詠み、「まず何をおぼえそむらむ負はれるてはかまどに燃ゆる火など覗く子」と三ヶ島葭子は詠み、「連翹の花にとどろくむなぞこに浄く不断のわが泉あり」と山田あきは詠み、「北を指すものらよなべてかなしきにわれは狂はぬ磁石を持てり」と生方たつゑは詠み、「奔馬ひとつ冬のかすみの奥に消ゆわれのみが累々と子を持てりけり」と葛原妙子は詠み、「山坂を髪乱れつつ来しからにわれも信濃の願人の妻」と斎藤史は詠み、「何ものの声到るとも思はぬに星に向き北に向き耳冴ゆる」と安永蕗子は詠み、「この朝も胡桃の殻を焚付けて澄みし焔を吾は目守りつ」と河野愛子は詠み、「完きは一つとてなき阿羅漢のわらわらと起ちあがる夜無きや」と大西民子は詠み、「われは世のかたはらにゐて射るごとくあらくさにさすひかり思へり」と山中智恵子は詠み、「処女にて身に深く持つ浄き卵秋の日吾の心熱くす」と富小路禎子は詠み、「暗きもの身はそれぞれにもつものを柘榴はしげりつひに花咲く」「迷いなき生などはなしわがきなこ衰ふる日の声凛とせよ」と馬場あき子は詠み、か弱い我が身を叱咤激励し、女性短歌史を更に上昇させようとする努力を怠り無く積み上げて来たのである。
新聞歌壇の作者と言えども、一千数百年の歴史を有する短歌の「殿堂にわれも黄金の釘一つ打つ」といった気概を持って事に当たらなければなりません。
〔返〕 短歌史を逆流させるが如き歌詠むな選ぶな作者に選者
(宇都宮市・柏木恵美)
〇 骨だけが残った秋刀魚不器用な息子の成長一つ見つける
個性的と言えば個性的ではあるが、典型的な「台所短歌」である。
と、言っても、決して悪口を言っている訳ではありませんよ。
ところで、日本人が秋刀魚を食べなくて、何人が秋刀魚を食べるんですか?
好みの問題でもありましょうが、我が子を甘やかして育てていることを自慢たらしく謂うが如き短歌を詠むのには、少なからぬ疑問を感じます。
以上、率直な私見を述べさせていただきました。
〔返〕 骨だけを残した秋刀魚の骨を焼きカルシウム分摂取する妻
(磐田市・伊藤正則)
〇 釡炊きの新米ご飯に妻の漬けし十年の梅のせていただく
掲歌の作者も亦、何かを誤解していて、「釡炊きの新米ご飯に妻の漬けし十年の梅のせていただく」と言えば、即「芸術作品としての短歌である」と思っているような感じである。
個性的と言えば個性的ではありましょうが、私見に拠れば、「釡炊きの」も陳腐、「新米ご飯」も陳腐、「妻の漬けし」も陳腐、「十年の梅」も陳腐、「のせていただく」も陳腐である。
「陳腐の上に陳腐を塗り重ね、更に陳腐を塗り重ねたような作品である」と私には思われます。
以上、率直な私見を述べさせていただきました。
〔返〕 速炊きの圧力釡で炊いた飯刻みメカブを乗せて食べたり
(名古屋市・中村桃子)
〇 ガラケーもスマホもないけど手書き文字がこころを映す交換日記
「馬場あき子選」の二席と共選である。
今日は腹立ち紛れに、学童相手に碌でもないことを言ってしまうような怖れがありますから、評言及び返歌は控えさせていただきます。
とは言え、決して出来の宜しい作品ではありません。
「朝日歌壇」の選者諸氏は、学童短歌に甘過ぎるのかも知れません?
↧
December 12, 2013, 8:26 pm
[永田和宏選]
(岸和田市・西野防人)
〇 トイレなきマンションではなく核のゴミは着陸できない旅客機なのだ
「原発はトイレのないマンションである」とは、小泉進次郎衆院議員の父親の名言であるとか?
掲歌は、それに対抗して、「原発はトイレのないマンション程度の欠陥品では無くて、着陸できない旅客機のような欠陥品なのだ」と言いたかったのでありましょうが、三句目に「核のゴミは」という五音を挿入したが故に、文意がかなり不明瞭になった欠陥短歌である。
作者の西野防人さんよ、お解りになりますか?
「核のゴミ」は、人間の身体から排出されている「大便」や「小便」に例えられる物質であって、「トイレなきマンション」や「着陸できない旅客機」に例えられる物質ではありません。
「トイレなきマンション」や「着陸できない旅客機」に例えられるのは、「原発」そのものなのですよ!
小泉純一郎、政界を退いたと言えども、そんなに馬鹿ではありません。
〔返〕 「原発は即廃止!」などとノタマワク小泉元総理人間改革
(松山市・宇和上正)
〇 捨て場無きゴミ作るなと言ふ人を無責任とぞ責むる無責任
掲歌も亦、小泉元総理の人間改革に関する作品である。
今からでも遅くはありません。
今年の「変わり雛」の一つとして、「小泉純一郎元総理雛」を加えたら如何ですか?
〔返〕 雛壇にお内裏様の元総理 お雛様とはとっくに離縁
(津山市・菱川佳子)
〇 孫という熱き体を抱き締めて秘密保護法成立を怖る
「孫という熱き体を抱き締めて」などとは、「あられもない」ことを仰る歌詠みである。
〔返〕 妻といふ活きた行火を抱き締めて今夜の冷えに耐えなむとする
(行方市・鈴木節子)
〇 知らぬ間に戦争うしろに立っていた秘密保護法そんな気がする
「行方市の鈴木節子さんよ、安倍晋三総理を初めとした頭脳明晰な『自公両政党+維新・みんなの一部』議員の方々が一致団結して制定した法律ですから、万が一にもそんなことはありませんよ!心配しないで下さい!」と申し上げたい場面ではありましょうが、果たして如何でありましょうか?
〔返〕 意図的に治安維持法に変身し貧乏人を戦地に駆り立て
(弘前市・今井孚)
〇 四つ角の火の見櫓の錆色に西日冷え冷え立冬過ぎけり
音数合わせの為の「遊び」が多い作品である。
即ち、「四つ角の」も遊び、「冷え冷え」と「冷え」を重ねたのも音数合わせの為の遊びである。
短歌は、わずか三十一音のささやかな文芸でしかありません。
〔返〕 西陽落ち火の見櫓の影差して林檎畑の彩りの消ゆ
(本庄市・福島光良)
〇 月光に照らされ君は二次元の存在となり更に美し
言いも言ったり、「君は二次元の存在となり更に美し」だと!
〔返〕 月光に照らされ君は四次元の存在となり霊界に棲む
(横浜市・折津侑)
〇 過去形で謂うのねと妻が拗ねている「綺麗だった」と褒めているのに
ほとんど痴話喧嘩に近い会話ですよ!
要するに、本番を前にした前戯の類の遊びですよ!
「焼けてしまう!」だなんて、問題にするに値しませんよ!
だから、返歌なんか詠まずに「スルーパス」してしまいます。
〔返〕 「過去形で言うのね!」などと現在形で拗ねている妻「文法的だね!」
(名古屋市・中村桃子)
〇 ガラケーもスマホもないけど手書き文字がこころを映す交換日記
「馬場選」及び「高野選」との三選者の共選作品ではありますが、甘過ぎはしませんか?
拠って、これも亦「スルーパス」させていただきます。
(熊本市・近藤史紀)
〇 いろいろな「ばか」を君からもらえども最後の「バカ」の頼り無きこと
「最後の『バカ』」とは、掲歌の作者・近藤史紀さんが迫って行った時に、彼女の口から発せられた「バカ」でありましょうか?
〔返〕 「近藤は近藤さんも嵌めないで馬鹿みたいだね」と彼女は言った
(東京都・石黒敢)
〇 よき友と永の別れとなりにけりしぐれに濡れる根津の坂道
谷中霊園での墓参を終えた後、「根津の坂道」を上って行って、何処かのお店に入って、お浄めの蕎麦でもお召し上がりになったのでありましょうか?
〔返〕 善き友は先発ち逝きて残るのは業突く張りの悪ばっかりだ
↧
December 12, 2013, 11:13 pm
〇 売れぬ絵を引き上げて去る老人にお疲れさまと画廊の主は(2013/12)
選者の黒田英雄氏は、「短歌にとって大切なのは『如何に詠むか』では無くて、『何を詠むか』である」などと、何とか教壇の教祖紛いの事を主張して憚る事の無い頑固一徹の初老の男性である。
私の愛読書の一つは、『絵のなかの散歩』、『気まぐれ美術館』、『帰りたい風景・気まぐれ美術館』、『セザンヌの塗り残し・気まぐれ美術館』、『人魚を見た人・気まぐれ美術館』、『洲之内徹が盗んでも自分のものにしたかった絵』などの洲之内徹氏の著作である。
洲之内徹氏は、生前に、戦後文学の花形小説家であり美術マニアでもあった田村泰次郎氏の業を引き継いで、西銀座で「現代画廊」という屋号の画廊の経営に当たっていたのであったが、彼の経営する現代画廊で行われる絵画展の出品作は、創業当初は、只の一品たりとも買い手がつかない場合がしばしば在り、そうした場合は、展示期間が終わると経営者の洲之内徹氏が出世払いで一時預かりするか、出品者(画家)自身が泣く泣く引き取りに来るしか手が無かった、とのことである。
掲作の題材になっているのは、前述の「現代画廊で行われた売れない絵画展の終了後の場面に類似した場面」ではあるが、「現代画廊で行われた絵画展の場合は、買い手がつかない理由が、自らの審美眼を信じる経営者の洲之内徹氏が、一種の先行投資として行った、自らが掘り起こした画家の作品の作品展であったが故の売れ行き不振であった」のであるが、本作の場合は、「老いぼれた貧乏画家の懇願に拠って、仕方無しに行われた個展の作品が、当然の結果として売れなかったまでの事である」と想定されるのである。
それ故に、「画廊の主」の口から発せられた「お疲れさま」には、言葉以上の「お疲れ様」的な意味が加わっているのであり、「美術大国・ニッポン」で行われている絵画展なる催しや、その会場となる画廊、更には画家や画廊の経営者及び画廊の顧客乃至は暇に任せて銀座界隈の画廊巡りや美術館巡りを事としている、私・鳥羽省三や、掲歌の作者・野上卓氏の日常生活での行状までを風刺しているような言葉とはなっているのである。
ところで、私は此処まで、掲作の題材となっている出来事を現実に在った出来事として、解釈並びに鑑賞をさせていただいたのではあるが、掲歌の作者・野上卓氏は、近松門左衛門の所謂「虚実皮膜の間を往く」劇作家である。
したがって、掲歌に拠って詠まれたる内容の真偽に就いては、一切存じ上げません。
〔返〕 十首詠み六首採られて「お疲れさま!」残り四首は焼き直しせよ
〇 この国の悲哀のひとつ大陸の朱鷺を放ちて孵化を喜ぶ(2013/8)
今となっては、我が国と卑劣な屋敷争いを演じている相手国、某経済大国の原野で生い育った「朱鷺」なる鳥類を、代価を幾ら支払ったのか、支払わなかったのかは存じ上げませんが、かつての黄金の島「佐渡島」の「朱鷺センター」なる囲いの中で飼育し、卵を産ませ、孵化させて喜び、挙句の果てには、天敵が無数に棲息している原野に「放ちて」死なせてしまい、それでも尚且つ、国際親善云々を口にすることの愚かさよ、という訳でありましょうか?
だとしたら、本作に詠まれている事態こそは、まさしく「この国の悲哀のひとつ」と言うべきでありましょう。
題材が題材だけに、慧眼の士・黒田英雄氏のお眼鏡に叶ったのではありましょう。
ところで、私がさる古老から、直接、耳にしたところに拠ると、「我が国の戦前までの庶民生活に於いては、鶴や白鳥や雁などの大型の鳥類が、貴重な蛋白源となっていたのであり、朱鷺とてその例外では無かった」とのこと。
如何でありましょうか?
〔返〕 この国の悲哀の一つ漢字なるガラパゴス文字を使ってる事
この国の卑猥の一つパンダなる獣の交接目視する事
この頃の夢に思うことは、私が、記紀の国引き神話の神・八束水臣津野命とは相成って、我が日本列島を頑丈な荒縄で縛って、南半球はオーストラリアの隣りまで引き摺って行くことである。
なにしろ、お隣り様がお隣り様だからである。
でも、そうなればなったで、「黄色人種は云々?」、「クジラやイルカを食べる人種とは云々?」といった、厄介な問題が生じるに違いありません。
生きるとは、事程然様に哀しいことである。
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December 13, 2013, 6:34 pm
[長谷川櫂選]
(オランダ・モーレンカンプふゆこ)
〇 オランダの光の中を秋が行く
(船橋市・藤井元基)
〇 あらためて妻あるを知る根深汁
(川越市・益子さとし)
〇 十二月八日大虐殺の始まりぬ
(田川市・山田千恵女)
〇 粕汁や一人分とは冷め易く
(佐伯市・吉武厚男)
〇 山頭火さまよへるごとしぐれけり
(東京都・上川畑裕文)
〇 まぼろしの少年とをる焚火かな
(立川市・植苗枝葉)
〇 素戔嗚も頬を緩めむ七五三
(船橋市・斉木直哉)
〇 冬めくや日々白銀の蜘蛛の糸
(八王子市・大串若竹)
〇 雪吊を見て鯉を見て帰りけり
(枚方市・中村輝雄)
〇 五十年冬山愛し老いにけり
[大串章選]
(奈良市・坪内香文)
〇 白鳥や水の緊張たかまりぬ
(古賀市・白石匡子)
〇 林檎捥ぐ空の青さも籠に入れ
(西海市・前田一草)
〇 颯爽と馬車で皇居へ黄落期
(横浜市・山本裕)
〇 木枯しと森へ消えゆく少女かな
(福山市・広川良子)
〇 捜されてゐて短日の駅に会ふ
(立川市・越智麦州)
〇 数学の答は一つ葱刻む
(金沢市・酒井正二)
〇 荒海や風除け並ぶ漁師町
(東京都・土方けんじ)
〇 木枯しが骨を鳴らして過ぎにけり
(福島県伊達市・佐藤茂)
〇 降り積もる落葉の海に浮かびけり
(横浜市・木村あや子)
〇 残菊や父亡きあとの大時計
[稲畑汀子選]
(横浜市・犬山達四郎)
〇 なぜ掃くや落葉積りし豊かさを
(三郷市・岡崎正宏)
〇 風呂に入り肩まで冬を沈めけり
(伊万里市・萩原豊彦)
〇 居酒屋の前で決つて夕時雨
(平戸市・辻美禰子)
〇 山坊の新たな生命笹子鳴く
(阿南市・湯浅芙美)
〇 石路咲けど笹鳴すれど師は在さず
(岐阜市・中島弘子)
〇 うかうかと十一月を迎へけり
(筑紫野市・多田蒼生)
〇 冬ざるる風の大観峰に立つ
(久留米市・谷川章子)
〇 家事といふ限のなきもの冬に入る
(熱海市・野間泰子)
〇 しあはせな疲れのひと日七五三
(寝屋川市・岡西恵美子)
〇 秋天は雲のまほろば明日も旅
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December 15, 2013, 12:14 am
[大串章選]
(奈良市・坪内香文)
〇 白鳥や水の緊張たかまりぬ
数百羽の「白鳥」が、今まさに一斉に飛び立たんとする一刹那、彼らを抱き締めていた「水の緊張」は、極度に高まるのでありましょう。
寡聞にして評者は、「水の緊張」といった破格にして厳粛な表現を事とした俳人を存じ上げません。
しかしながら、掲句の作者・坪内香文さんが、この場面に於いて「水の緊張」という破格にして厳粛な表現をせざるを得なかった理由が、摂氏百八十度の熱湯の中に流氷の破片を放り込んだが如くして理解されるのである。
「水の緊張たかまりぬ」という十二音に現実感があり、大串章選の首席に相応しい傑作と思われる。
〔返〕 阿寒湖の水の緊張溶けざれば丹頂五百羽飛び立つを得ず
(古賀市・白石匡子)
〇 林檎捥ぐ空の青さも籠に入れ
葉の散った林檎の枝から、実を一顆だけ捥いで籠に入れようとして、ふと視線を移すと、目の前の秋空が、今、捥いだ林檎の実一顆分だけ拡大されたように感じられるのである。
「空の青さも籠に入れ」という十二音は、ともすれば月並みで稚拙な表現のように見受けられるかも知れません。
だが、八年に渡って林檎農家の手伝いをして来た経験を持つ私にとっては、それなりに実感の伴った表現のようにも思われるのである。
〔返〕 伊那谷の空の青さを籠に入れシナノスイート摘み取りをせむ
(西海市・前田一草)
〇 颯爽と馬車で皇居へ黄落期
「黄落期」とは、USA及び我が日本国の衰亡を予見しての表現でありましょうか?
だとしたら、彼のキャロライン・ケネディ大使は、自国と自国の同盟国たる我が国の衰亡を予見しながらも、 畏くも今上天皇陛下に信任状を捧呈するべく、「颯爽」として宮内庁差し回しの「馬車」に乗って参内したのでありましょう。
〔返〕 秋風に長き金髪なびかせて大使・キャロライン颯爽として乗車
(横浜市・山本裕)
〇 木枯しと森へ消えゆく少女かな
ただ単に、遊び仲間たちに逢う為に、たまたま「森」の中に入って行っただけかも知れないのに、こうして俳句の題材にされてしまうと、「謎の美少女登場?」といった感じになってしまうのである。
で、彼の「少女」は、悪仲間と一緒に薬を吸引する目的で、「木枯らし」に吹かれるようにして「森」の中へと「消えゆく」のでありましょうか?
それとも、彼女は魔法使いのお婆さんの孫娘でありましょうか?
まさか、スタイルの良い「少女」だけが持て囃されている昨今の我が国社会の風潮を風刺しているのではあるまい?
〔返〕 木枯らしにすすり泣きする少女にて風の吹く日は木の葉に紛る
(福山市・広川良子)
〇 捜されてゐて短日の駅に会ふ
待ち合わせ場所を失念していたのでありましょうか?
それとも、何かの事情があって、家族の人たちに無断で外出していたのでありましょうか?
いずれにしろ、初冬ともなれば日暮れが迫っているから、捜す方は勿論のこと、捜される方も心配なことである。
その上、福山市は人口五十万人に及ぼうとしている大都市ですから、高齢者が一人で夕暮れの街をほっつき歩いたり、約束していた待ち合わせ場所を間違えたりしたら、家族総出で血眼になって探しても見つからないことになりましょう。
〔返〕 福山の草戸千軒町遺跡<鎌倉末期の大規模集落>
(立川市・越智麦州)
〇 数学の答は一つ葱刻む
「女房の留守中に、カップラーメンの薬味にするためにキッチンに入って葱を刻んでいたら、高校時代の頭の悪い数学教師が口癖にしていた『数学の答は一つ』という言葉が、ふと浮かんで来た」とすれば平仄は一応あいましょうか?
それにしても、上五中七の十二音と下の五音との関わりが見えて来ません。
そもそも、「数学の答は一つ」という言葉は、あまりにも使い古された言葉であり、国語が不得意で頭の悪い高校生や頭の悪い数学教師たちが、自分の程度の悪さを棚上げにしようとする魂胆で口にする言葉としてしか使い道が無いのである。
〔返〕 俳句解釈に正答は無し孰れの解釈をも佳しとするべし
(金沢市・酒井正二)
〇 荒海や風除け並ぶ漁師町
(東京都・土方けんじ)
〇 木枯しが骨を鳴らして過ぎにけり
(福島県伊達市・佐藤茂)
〇 降り積もる落葉の海に浮かびけり
(横浜市・木村あや子)
〇 残菊や父亡きあとの大時計
[稲畑汀子選]
(横浜市・犬山達四郎)
〇 なぜ掃くや落葉積りし豊かさを
(三郷市・岡崎正宏)
〇 風呂に入り肩まで冬を沈めけり
(伊万里市・萩原豊彦)
〇 居酒屋の前で決つて夕時雨
(平戸市・辻美禰子)
〇 山坊の新たな生命笹子鳴く
(阿南市・湯浅芙美)
〇 石路咲けど笹鳴すれど師は在さず
(岐阜市・中島弘子)
〇 うかうかと十一月を迎へけり
(筑紫野市・多田蒼生)
〇 冬ざるる風の大観峰に立つ
(久留米市・谷川章子)
〇 家事といふ限のなきもの冬に入る
(熱海市・野間泰子)
〇 しあはせな疲れのひと日七五三
(寝屋川市・岡西恵美子)
〇 秋天は雲のまほろば明日も旅
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December 15, 2013, 11:44 am
〇 阿寒湖の水の緊張解けざれば丹頂五百羽飛び立つを得ず
〇 十二月八日佐渡山豊の誕生日『ドゥーチュイムニイ』を聴きて祝ひぬ
〇 時折りは晴るる日もあり山頭火あすは時雨れて何処を彷徨ふ
〇 折節は炉火に面向け思索しけむ我のまぼろし少年ケニヤ
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December 16, 2013, 12:35 am
[稲畑汀子選]
(横浜市・犬山達四郎)
〇 なぜ掃くや落葉積りし豊かさを
寸評に「一句目。自然のままの姿ほど美しいものはない。その落葉のなぜ掃いてしまうのかと残念な作者。」とある。
「朝日俳壇」の寸評欄は僅かに五行であり、字数にして百字足らずである。
屋上に屋を架けたような、蛇の絵に足を書き足したような、この寸評に要した字数は、赤穂浪士の員数と同じ四十七字である。
頭脳明晰ならずして寸評は書けません。
〔返〕 何故記す無駄な寸評よしときな赤穂浪士の討ち入り近し
(三郷市・岡崎正宏)
〇 風呂に入り肩まで冬を沈めけり
「風呂に入り肩まで」沈めたのは「冬」では無くて、岡崎正宏さんの冷えた身体である。
そして、岡崎正宏さんが冷えた身体を「肩まで」沈めたと同時に、同じ体積のお湯が浴槽から溢れ出たのである。
〔返〕 掛け湯して身体温めて湯に入れ急に入れば心筋梗塞
(伊万里市・萩原豊彦)
〇 居酒屋の前で決つて夕時雨
とぼけるのもいい加減にしなさい!
毎日、毎日、町一軒の「居酒屋の前」で「夕時雨」に遭うわけはありませんよ!
それとも、あの厚化粧してお正月の獅子舞の獅子のような顔をした女将に誑し込まれた、とでも言いたいのですか?
〔返〕 今日もまた居酒屋前で夕時雨ちょっと一杯雨宿りして
(平戸市・辻美彌子)
〇 山坊の新たな生命笹子鳴く
「山坊」の「坊」は、「宿坊」の「坊」と同じく「住居・部屋・室」といった意であり、「山坊」で以って「山の住居」即ち「別荘」乃至は「山小屋」の意でありましょうか?
いずれにしろ、「山坊」という言い方は一般的な言い方とは言えません。
それはそれとして、「笹子」とは、「まだ整わない鳴き方をしている冬の鶯」を指して言うのである。
掲句の作者・辻美彌子さんは、久しぶりに別荘にお出掛けになられて、笹子の笹鳴きを耳にした瞬間、「私の知らない間に、この山坊に新たな命が生れていたのだ!」と、感動の極点に達しられたのでありましょう。
〔返〕 うぐいすの笹子笹鳴き笹薮で笹川流れに竿差す流石
嗚呼、笹子!胸の高鳴る笹鳴きよ!我の命はほとほと死にき!
(阿南市・湯浅芙美)
〇 石路咲けど笹鳴すれど師は在さず
その季節が到来すれば、ツワブキの花が咲いたり、鶯の笹子が笹鳴きしたりするのは当然の事であり、「師」が「在さ」ざる事とは何ら関わりがありません。
しかしながら、人間なら誰しも、日本人なら特に、季節の推移と親しい人間の生死とを比較対照して喜んだり悲しんだりするような習慣(悪習と謂うべきかも知れません?)を持っていますから、掲句の作者・湯浅芙美さんが、「季節は今、ツワブキが淡く咲き、鶯が笹鳴きをする初冬である!しかしながら、私は今や、その感動を伝えて、共に喜ぶべき師を亡くしてしまったのだ!」と、季節の美しさを讃えると共に、その感動を共にするはずであった、師のご逝去をお嘆きになるのは、少しも不思議なことではありません。
それとは別に、作品の前半に季節の推移を表す語句を置き、後半にそれとは真逆な語句を置いて、それらを「ど」という逆接の接続助詞で以って結ぶという表現は、あまりにも常套的な表現であり、掲句は、必ずしも朝日俳壇の入選作に値するとは申せません。
〔返〕 たまプラにジングルベルの音が響きレジの小母さんサンタの衣装
(岐阜市・中島弘子)
〇 うかうかと十一月を迎へけり
全く同感です。
不肖、私も亦、気がついてみると「うかうかと」師走半ばを迎えてしまっていたのであり、来週の火曜日になれば、例の如く、朝一番に掛かり付けの病院に出頭し、もの凄くず太い注射針で血液を大量に抜かれ、身ぐるみ剥がれて健診台に乗らなければなりません。
そして、その翌週には、格別めでたくも無いのに、午年の新年を迎えなければならないのである。
〔返〕 うかうかと赤信号を渡りけりダンプ停まるし運転手怒鳴る
(筑紫野市・多田蒼生)
〇 冬ざるる風の大観峰に立つ
掲句中の「大観峰」とは、「熊本県阿蘇市にある標高935.9mの山であり、阿蘇北外輪山の最高峰であり、カルデラ盆地の阿蘇谷や阿蘇五岳をはじめ、九重連山を一望することができる」とか。
更に言えば、「大観峰の名は、熊本県出身のジャーナリスト・徳富蘇峰によって命名されたとされており、古くは『遠見ヶ鼻』と呼称されていた。阿蘇谷を一望できることから熊本県内のテレビ放送局が阿蘇北中継局を設置している他、警察庁の無線中継所も設置されている」とか。
斯く申す私も、阿蘇山には三回ほど登らせていただいて、三回の中の二回は噴火口まで足を運びましたが、件の「大観峰」には一度も登っていません。
ところで、掲句の作者・多田蒼生にお訊ね致しますが、貴方様がお登りなさった折りには、噴火口から噴き上がって来る噴煙の量は如何ほどであり、風向きは如何であったのでありましょうか?
〔返〕 冬ざるる大観峰には立たざるも噴火口には二回も登る
(久留米市・谷川章子)
〇 家事といふ限のなきもの冬に入る
「家事といふ限のなきもの」とは、言い得て妙なる表現である。
私の連れ合いのS子も亦、その「家事といふ限のなきもの」の始末に、日がな一日追われているとか?
〔返〕 自ずから限りがあると思えども「日がな一日追われている」と?
(熱海市・野間泰子)
〇 しあはせな疲れのひと日七五三
「七五三」とは、「七歳、五歳、三歳の子供の成長を祝う日本の年中行事。天和元年11月15日(1681・12・24)に館林城主である徳川徳松(第5代将軍・徳川綱吉の長男)の健康を祈って始まったとされる説が有力である」と、フリー百科辞典『ウイキペディア』は解説するのであるが、それとは別に、「我が国には、極めて例外的な事例を除けば、七五三に類する子供の成長祝いの通過儀礼は無かったのであるが、近年に至って、商売上手な(阿漕な)都内の百貨店などが結託して、『七五三』なる行事をでっち上げるに至った」との説も在って、私としても確かなことは言えません。
それはどうでも宜しいが、掲句の作者は、お子様の「七五三参り」の日を「しあはせな疲れのひと日」として、心の底からお喜びになっておられるご様子ですから、内需拡大という意味に於いても、それはそれで目出度い事ではありませんか?
〔返〕 幸せなひと日再び七五三!お鎮守様に写真屋さんに!
(寝屋川市・岡西恵美子)
〇 秋天は雲のまほろば明日も旅
1894年、スウェーデンのウプサラで国際気象会議が行われ、国に拠って、地方に拠って、いろいろと異なった呼び方が為されている雲の名称を、「巻雲・巻積雲・巻層雲・高積雲・高層雲・層積雲・層雲・乱層雲・積雲・積乱雲」の10種類に大別するとの国際間の取り決めが為されたのである。
その中の巻積雲は、「いわし雲・さば雲・うろこ雲」といった異称を以って呼ばれ、いずれも「秋天」に彩る美しい雲である。
当然の事ながら、雲という自然現象は、「秋天」に限って生じるものでは無くて、春夏秋冬、何れの季節の空にも生じる現象である。
然るに、「秋天」を彩る「巻積雲」に限って、上掲の如く「いわし雲・さば雲・うろこ雲」といった美名で以って呼ばれ、他は異称で以って呼ばれる場合が在るとしても、「雨雲・雪雲(乱層雲)」、「入道雲(積乱雲)」、「まだら雲(層積雲)」といったような美しくも無ければ、面白くも可笑しくも無い、即物的な異称で以って呼ばれているのである。
詰まるところは「秋天」こそは、まさしく「雲のまほろば」ということには相成りましょうか?
〔返〕 あま雲かゆき雲なのか乱層雲?雨と雪とはかなり違うぞ!
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