[佐佐木幸綱選]
(盛岡市・堀米公子)
〇 「吉田調書」やはりてんでんこ逃げていた危険感じたその場にいた人
私の記憶しているところに拠ると、「津波てんでんこ」という三陸地方の方言を用いた短歌の朝日歌壇での当選作は、平成23年5月23日の「高野公彦選」の5席に選出された、宇都宮市にご在住の河西弘正さんの「災害に生きて残りし年寄の重き言葉よ『つなみてんでんこ』」という佳作を以って嚆矢とする。
あれから3年余りの月日が経過した今日、この言葉の使用範囲は、今や、三陸地方という限られた狭い地域のみならず、「全国区」とでも言うべき範囲にまで及んでいるのである。
本作も亦、この全国区的な規模で普及しつつある「(津波)てんでんこ」という言葉を作中に用いた歌であり、「是が今週の朝日歌壇の佐佐木幸綱選の首席に選定された唯一無二の理由は、作中に『てんでんこ』という流行語的かつ選者好みのする言葉を用いている点にある」などと、何事につけても疑り深い私・鳥羽省三などは憶測してしまうのである。
何故ならば、本作は文意不明、特に下の句の「危険感じたその場にいた人」という13音などは、作者が何を言おうとしているのか、凡百の私如き者にはまるっきり見当が付かないからである。
昨今の朝日新聞社は、物見高い娯楽週刊誌の読者諸氏から、「我が国に於ける中国大陸や朝鮮半島の代弁機関」などと揶揄されながらも、大江健三郎氏などの我が国を代表する識者と一体となり、「原発の再稼働反対」、「集団的自衛権行使反対」、「特定秘密保護法施行反対」などの大キャンペーンを張り、一種の「反政府運動団体」の如き様相を呈しているのであり、その影響は、読者諸氏からの偏らない投稿作品で以って編集されるはずの「朝日歌壇」や「朝日俳壇」にまで及ぼうとしているのである。
したがって、気が優しくて人柄の宜しい「朝日歌壇」の選者諸氏も亦、「好むと好まざるに関わりなく、投稿歌の選歌に当たっては、必然的にそうした偏頗な姿勢を取らざるを得ない立場に追い込まれているのではないか」と、私などは、これ亦憶測してしまうのである。
ところで、盛岡市の堀米姓と言えば、我が国が産んだ世界的バイオリニストの堀米ゆず子さんや、八木節で知られた、かつての我が国の民謡界の輝かしきリーダーの堀米源太さんと縁のある人物かも知れません。
だとしたら、そうした貴種が、何が故に朝日歌壇の「原発再稼働反対キャンペーン」になどに便乗した短歌を詠む必要がありましょうか?
ゆめゆめ、そんな軽はずみな行為に走ったりして、身に纏う透き通った絹のブラウスを穢してはなりません。
以後、十二分にお気を付けなされ。
なんちゃったりしてしまいましたが、ここら辺りで手間暇を惜しまずに一首の意を述べると、「この度の朝日新聞の大スクープ記事の『吉田調書』に拠ると、あの福島原発メルトダウン事故の際の東京電力社員の態度もやはり『てんでんこ』だったのであり、吉田所長の所長命令に反して第2原発まで逃げていた者も居れば、危険を感じつつもその場にいた人も居たのである」といったところでありましょうが、言葉不足や表現技術の未熟さは否めず、首席入選はおろか、入選作品として紙上に掲載されたのも不思議である。
〔返〕 率先し「津波てんでんこ」やらかした東京電力社員の失態
選者の佐佐木幸綱先生よ!貴方ぐらいの貴種が、首席作品としてご選定なさる作品ならば、せめてこれぐらいの出来栄えの作品であるべきでしょう。
(千葉市・鈴木一成)
〇 衝撃の吉田調書が明らかに特報なくば未だ知られず
過日発行の「週刊ポスト・6月20日号に「『吉田調書』スクープは従軍慰安婦虚報と同じだ」という大見出しの記事が掲載された、と言う。
それに伴って、朝日新聞社は、去る6月9日、「週刊ポスト」の版元・小学館宛てに「(同記事は)報道機関としての朝日新聞社の名誉と信用を著しく毀損する」として厳重に抗議し、訂正と謝罪の記事の掲載を求める文書を送った、とのこと。
それはどうでも宜しいが、本作も亦、前述の堀米作品と同様に、朝日歌壇の「原発再稼働反対キャンペーン」に便乗しようとする魂胆が見え見えの作品ではあるが、その出来栄えの程は堀米作品よりはかなり増しである。
それはともかくとして、千葉市にお住いの鈴木一成さんの仰る「衝撃の吉田調書」が「明らかに」したものは、他ならぬ「我が日本国民の劣性である」との説が、昨今の世間では専ら為されているであるが、その点に就いては私は首肯出来ません。
〔返〕 衝撃の吉田調書がすっぱ抜き菅元総理の無念の冤罪
(石川県・瀧上裕幸)
〇 等伯の松林屏風の奥に見ゆ凪ぎてやさしき故郷の海
私・鳥羽省三は、件の「屏風」を是までに少なくとも三回は観ているのであるが、墨で以って描かれた「松林」の「奥」に、本作の作者・瀧上裕幸さんの仰る、「凪ぎてやさしき故郷の海」が描かれているとは、ちっとも知りませんでした。
私には、絵というものを観る目が備わっていないのでありましょうか?
私の観たところ、件の墨絵の屏風には、数本のひょろそょろとした松以外には、何も描かれていないように思われるのですが、観るべき人が観れば、あの貧弱な「松林」の背景には、本作の作者・瀧上裕幸さんの「凪ぎてやさしき故郷の海」が、真実描かれているのでありましょうか?
だとしたら、私は謙虚な気持ちになって反省しなければなりません。
〔返〕 歌詠みは尤もらしき噓を言ふ松林図屏風は単なる墨絵
(東京都・豊英二)
〇 月明かりの富士を見よとぞ樹海より満月の出て雪を照らせる
公平な観察眼を以ってすれば、「作中の『満月』が、富士山の『樹海』より出て来て、折から降り積もっていた、山麓の『雪』を照らしていた」のは事実としても、「『月明かりの富士を見よ』」との目的一心で以って出て来た」のではありません。
それなのに、如何なる理由が在って、東京都にお住いの豊英二さんは、上掲の一首をお詠みになったのでありましょうか?
「天下万民の目に遍く見えるものを、選ばれた自分の目にしか見えない」などと、敢えて口にするのも、優れた歌人が備えていなければならない要件なのでありましょうか?
〔返〕 「年金の振込票を見てみろ!」と二度も三度も連れ合いの言う
(福島市・山田毅)
〇 福島に住むなは天の声として他に住む人の永遠のご無事を
一首の意は、或いは「私は被災地・福島県民の一人として、為政者の言う『福島に住むな』という言葉を『天の声』として受け入れているのであるが、今の素直な気持ちとしては、福島県を離れて『他』の土地に『住む人』の暮らしが『永遠』に『ご無事』であることを願うのみである」といったところでありましょうか?
だとしても、そうした解釈は、私が無い知恵を振り絞ってようやく為し得たものであり、私以外の誰もが、そうした解釈を為し得るとは限りません。
客観的な判断をすると、本作は短歌未満の言葉の出鱈目な羅列に過ぎません。
それを承知の上で、本作を入選作とした理由は、「本作の作者・山田毅さんが被災地・福島市の住民である」という事以外には考えられません。
一体全体、朝日歌壇の選歌の実態はどうなっているのでありましょうか?
選者の佐佐木幸綱先生の頭が「くるくるぱー」になってしまったのでありましょうか?
〔返〕 「被災地に当分住むな」は天の声 聴くも聴かぬも泣きの涙で
(田村市・久住秀司)
〇 わが首長らは避難者側と対座する国の職員の横に並びて
「着眼点良し」と申し上げるべき場面ではありましょうが、福島原発メルトダウン事故の被災者救済の為の賠償交渉か何かの会場のテーブルの配置が、たまたまそういうことになっていただけの事ではありませんか?
だとしたら、それを目敏く見つけてこんな歌を詠むとは、あまりにも底意地の悪い作者である。
福島県田村市の市長を肇とした、被災地の首長連中の頭の程度は判りませんが、彼らが、安倍首相並みの頭脳の持ち主であったとすれば、テーブルの配置を替えて、自分たちも「国の職員」と「対座する」位置に座ったはずである。
でも、そうしたからと言って、必ずしも彼ら首長どもが「正義の味方・月光仮面」である訳はないでしょう。
要するに、国家公務員であろうが地方公務員であろうが、役人は骨の髄まで役人の汁に染まっているのである。
それにしても、作中、四句目の「国の職員の」という言い方は、あまりにも幼稚な言い方ではありませんか?
〔返〕 首長らは被災者側と対座する東電幹部の脇に侍って
首長らは被災者吾を凝視する加害者側の席に侍って
これくらいは、子供にだって詠めるでしょう!
松田姉妹に笑われてしまいますよ!
少しは恥ずかしいと思いなさいよ!
(福島市・青木崇郎)
〇 巨き輪を内から外(と)へと越せばまた同心円の続くふくしま
通常の言い方を以ってすれば、「同心円の続く」とは言わない。
「同心円の膨らむ」と言うべきである。
何故ならば、「同心円」とはあくまでも架空の概念であって、実線で以って縁取りすることが不可能なものだからである。
かくして、被災地・福島を題材にした作品の全てが凡作中の凡作なのである。
〔返〕 膨らみて地球の全てが同心円 福島原発そのど真ん中
「巨き輪を内から外(と)へと越せば」なんちゃってさ!
馬鹿馬鹿しくて鑑賞する気にもなりません!
仮にでも、被災者を名乗るなら、もうちょっとしっかりせんかい!
言葉の遊びに耽っている場合ではありませんぞ!
それなのに、言葉の遊びになってるならまだしも、このままでは尻取りにもなってないし、ただの単語の羅列遊びではありませんか!
(宇部市・崎田修平)
〇 使用済み燃料棒は釜の外プールで白む「五重の防御」
原発内部の構造に就いて、或いは核物質の有害性に就いての知識が足りない私には、本作の意味するところがよく解りませんが、本作を通じて作者の崎田修平さんが言わんとするところは、「『使用済み』として『釜の外』に除去された『燃料棒』も亦、人体に有害かつ地球を核汚染する有害物質のばら撒きをするから安全とは言えない」という事でありましょうか?
〔返〕 使用済み金精様は蚊帳の外満足したのか大黒ぐうすか
(松戸市・三宅安子)
〇 ヌメア冲の海深く潜水艦と舵取る父は今も海なり
作中の「ヌメア(Nouméa,/ヌーメア)」とは、フランス領ニューカレドニアの最大都市の名称である。
その海域は美しい珊瑚礁で囲まれていて、毎年、夏になると多くの観光客が訪れるのである。
しかしながら、平和のシンボルみたいなその島の冲、即ち「ヌメア冲」は、かつて日米両国の海戦が行われた激戦地であり、今でも戦艦や潜水艦の残骸などが沈んでいて、過ぎし日の戦いの激しさを偲ばせるのである。
ところで、本作の表現は「言葉不足」或いは「舌足らず」というべきものであり、その大意を捕捉することは極めて難儀である。
今、私が作中に置かれている語句を手掛かりにして、その大意を探れば、凡そ次のようなものかと思われる。
即ち「『ヌメア冲の海深く』には我が国の『潜水艦』が一隻沈んでいるのであるが、私の『父』は、その『潜水艦』の『舵』を取っていたのであるから、その娘に当たる私としてはとても傷ましい気持ちがするのである。しかし、今、この地に訪れてみると、この海の底に沈んでいるはずの『潜水艦』の姿も、その舵取りをしていたはずの『父』の姿も見えず、辺り一面は、ただ茫漠とした『海』ばかりである」と。
このように、欠点ばかりが目立つ本作が、名にし負う「佐佐木幸綱選」の入選作となった理由は、その題材と主題が「反戦思想」的なものであるからでありましょうか?
優れた短歌を詠む要諦は「主題と表見」、即ち「何を如何に詠むか?」という点に係っているとするのが、私たち歌詠みにとっての常識である。
然るに、今の「朝日歌壇」に於いては、その中の「如何に詠むか?」という点はどうでも宜しくて、ただひたすらに「何を詠むか?」という点にのみ、投稿者の力点が置かれているのである。
投稿者諸氏のそうした間違った認識を改めさせ、短歌道を正しく導くのが、選者四氏の唯一無二の仕事ではありませんか?
〔返〕 ぬめりあるほとを探ればしくしくと美女は嗚咽す昨夜見た夢
(八王子市・栗原文夫)
〇 碩学と言われし人の卒寿過ぎなお投稿す反戦の歌
本作も亦、「阿り諂い根性丸出し」の作品である。
他に言うべきこと無し。
〔返〕 碩学と言われたわりには訳知らず芋の煮えたも御存じない